徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

ドリフ大爆笑と幻の番組について考えてみる

BSフジで再放送が始まったドリフ大爆笑の初回をご覧になった方の中には、オープニングが「ド、ド、ドリフの……」ではなく、月月火水木金金の替え歌である「よ~る~だ、八時~だ……」になっていたのに気づいた方は多いであろうが、実は、ドリフターズ出演の番組のうち、オープニング曲として月月火水木金金の替え歌を用いたのはドリフ大爆笑がはじめてではない。

ドリフターズの代表作とも言える8時だョ!全員集合は昭和44(1969)年10月から昭和60(1985)年9月までの16年に渡って放送された番組であるが、実はその途中、半年に渡って放送を休止している。何が起こったのか?

昭和46(1971)年4月から半年間、TBS系の土曜夜8時からはクレイジーキャッツ主演の「8時だョ!出発進行」という番組を放送していた。そして、ドリフターズはその間、日本テレビ系列日曜夜7時放送の「日曜日だョ!ドリフターズ!!」に出演しており、同番組のオープニング曲として月月火水木金金の替え歌を用いていたのである。

つまり、ドリフ大爆笑の初回放送のオープニングは日曜日だョ!ドリフターズ!!の復活でもあったのだ。

 

それにしても、TBSはなぜ、半年に渡って8時だョ!全員集合というドル箱を手放したのか?

日本テレビはなぜ、ドリフターズを半年で手放したのか?

事務所は何を考えていたのか?

 

8時だョ!全員集合はどのように生まれたか?

昭和46(1971)年当時は渡辺プロダクションの3大スターという呼び名が登場していた。

の3ユニットである。

ただし、この呼び名はドリフターズ8時だョ!全員集合で成功を収めてからであり、それまでのドリフターズは、クレイジーキャッツの次と目される存在ではあっても、対等に評される存在ではなかった。実際、TBSで昭和44(1969)年4月から毎週土曜夜8時にドリフターズ主演の公開生放送番組を始めるという企画が立ち上がったとき、「土曜夜8時というチャンネルの命運を掛けた時間の主演は、実績のまだないドリフターズではなく、実績申し分無しのクレイジーキャッツを主演とすべき」という意見が続出したほどである。

これに対して奮起を見せたのがドリフターズとTBSの若き番組スタッフたちである。若きスタッフ達はそれまでドリフターズとともに、ドリフターズドン!(昭和42(1967)年)、進め!ドリフターズ(昭和43(1968)年)を経て、突撃!ドリフターズ(昭和44(1969)年)といった30分番組を作り上げてきており、実績を残してきていた。そして、若きスタッフ達は野望を抱くようになっていた。土曜夜8時からの1時間番組を製作するという野望である。この時代のTBSはどの曜日もどの時間帯も視聴率争いで勝つことが多かったが、土曜夜8時に限ってはどのような番組を送り出してもことごとく視聴率争いで敗れ去っていた。土曜夜8時というのはTBSのスタッフにとって、目の上のたんこぶとも言うべき歯痒さを感じさせるシンボルだったのである。

それまでの全ての挑戦が失敗してきているという現状の前に、TBSの編成局は若きスタッフ達からの挙手に応えることとした。昭和44(1969)年時点の土曜夜8時はフジテレビ系の「コント55号の世界は笑う」が視聴率争いの王者として君臨しており、フジテレビを除く全ての局がいかにしてコント55号と重ならないように番組を作り上げるかに苦心していたのであるが、若きスタッフ達は、あえてコント55号と重なる客層に訴え出るという提案をした。同じ客層に対して、アドリブを活かしたコント55号の笑いに対向するために、ドリフターズの計算されつくした笑いをぶつけるという提案であった。

この抜擢はTBSに成功をもたらした。視聴率14%でスタートした番組は、週を重ねるごとに視聴率を上げていき、昭和45(1970)年初頭には視聴率で土曜夜8時の絶対王者であったコント55号の世界は笑うを追い抜き、昭和45(1970)年3月にはコント55号の世界は笑うを放送終了に追い込むまでに至ったのである。その後も視聴率の上昇は止まることを知らず、昭和46(1971)年時点で視聴率25%の番組へと成長していた。

8時だョ!全員集合の半年間中断まで

8時だョ!全員集合の成功は他のチャンネルにとって驚異であった。いかにして土曜夜8時の番組を作り上げるかに苦悩してきた各局は、TBSの成功を何とかして自局でも取り入れることができないかと苦悩するようになった。

そんな中、日本テレビ渡辺プロダクションに一つの申し入れをしてきた。

ドリフターズの番組を日本テレビでも放送したい」

この申し出はさすがに耳を疑うものであったが、日本テレビからの申し出は冗談ではなかった。毎週日曜夜7時にドリフターズ主演の1時間の公開生放送番組を放送したいのでスケジュールを抑えてほしいというのである。

クレージーキャッツの代表作であり、個人活動が多くなっていたクレージーキャッツにとって数少ないユニットとしての出演番組であるシャボン玉ホリデーを放送してきたのが日本テレビである。シャボン玉ホリデーの放送時間帯は日曜夜6時半からの30分。シャボン玉ホリデーの30分と、ドリフターズの新番組の1時間を合わせた90分のバラエティ時間帯とするのが日本テレビの構想であった。

渡辺プロダクションとしては釈然としない内容であったが、日本テレビの社長まで出てくるとなると事務所側も無視できるものではなくなる。

 

無視できるものではないと言っても、渡辺プロダクション日本テレビの要請に応えるには簡単ではなかった。

ドリフターズ主演の8時だョ!全員集合がここまで成功したのは、ドリフターズ8時だョ!全員集合以外の全ての仕事を断っており、一週間の全てを8時だョ!全員集合に振り分けたことで得た結果なのである。アイデアを練り、小道具をつくり、大道具をつくり、稽古を重ね、本番当日の生放送に備えるというのが8時だョ!全員集合の成功の理由であり、このスケジュールはドリフターズだけでなく、番組スタッフも、8時だョ!全員集合に出演するゲストも同様に課せられていた。

このスケジュールに新しいスケジュールをつぎ込むのは無謀とするしか無かった。ドリフターズ主演の映画の撮影や、ドリフターズの曲のレコーディングをしているではないかという反論はあったが、それとて8時だョ!全員集合の稽古の空き時間を見つけてのスケジュールの詰め込みであり、ドリフターズは既に限界に達していたのである。

ここで日本テレビの要望に応えるには、ドリフターズ8時だョ!全員集合から切り離さなければならない。そして、ドリフターズのいなくなった8時だョ!全員集合の穴を埋めるにはドリフターズに匹敵するユニットを用意しなければならない。そんなユニットは無い。

ただ一つを除いて。

そのただ一つの例外がクレイジーキャッツであった。それも、クレイジーキャッツの全員に対し、それまでのドリフターズのスケジュールの制限を設けなければした上での話である。

日本テレビの社長まで登場してきた要請に対する渡辺プロダクションからの回答は、

というものであった。

日本テレビ渡辺プロダクションの要望を全て受け入れた。

 

TBSはなぜドル箱を手放したのか

8時だョ!全員集合の成功を手放しで喜んでいたところで浴びせられた突然の知らせにTBSは驚愕した。特に、8時だョ!全員集合のスタッフたちは自分たちの作り上げてきた番組がこのような形で奪われることに我慢ならず、プロデューサーは辞表を提出する直前まで至っていた。

その思いを留まらせたのは、スタッフの誇りであった。

いかに日本テレビが総力を尽くしたところで、ドリフターズを用意しただけでは8時だョ!全員集合にはならない。8時だョ!全員集合を作れるのは自分たちが欠かせないという誇りが思いを留まらせたのである。

さらに、ドリフターズの穴埋めとしてやってくるのがクレージーキャッツ。彼らも事情を熟知しており、ドリフターズの面々と接していたのと全く同じように接するように求めたことは若きスタッフ達を感動させた。それまで雲の上の存在と考えていたクレージーキャッツが全員揃ってドリフターズと同じようにアイデアを練り、小道具も大道具も用意し、稽古に励むのである。

純粋にビジネスだけで考えたとしても、ドリフターズ不在は痛いが、クレージーキャッツ独占は TBSの利益になる話であった。視聴率は充分に計算できる話である上に、スポンサーとの契約継続も可能であったのである。それに、話を持ちかけてきたのは日本テレビ渡辺プロダクションであって、TBSにとっては寝耳に水の話であるというのは全国に広まっている話である。同情を買う案件でこそあれ、非難を買う案件では無かった。

 

日本テレビの失敗

あの8時だョ!全員集合日本テレビにやってくる。しかも、クレージーキャッツ主演のシャボン玉ホリデーとセットとなって1時間30分のバラエティタイムをつくるということで、新番組「日曜日だョ!ドリフターズ!!」については大々的な宣伝が行われたが、世間からの評判は芳しいものではなかった。苦労して作り上げた8時だョ!全員集合を奪ったという見方をされていたのである。

それでも日本テレビの番組スタッフ達は懸命に応えたとするしか無い。ただ、ここには大きな落とし穴があった。

予算だ。

ドリフターズ8時だョ!全員集合で展開してきた笑いを他局で再現するためには、8時だョ!全員集合に掛けてきたのと同等、さらにはそれ以上の予算を用意しなければセットも作れないし、曲も用意できない。おまけに、8時だョ!全員集合のセットはスタッフ個人の技術力に拠っているところが多く、いかに日本テレビの番組スタッフが尽力してもどうにかなるものではない。

技術力の不足を予算で補った結果、日本テレビが日曜日だョ!ドリフターズ!!のために用意した予算は簡単に底をついてしまった。日本テレビの幹部は「こんなに金の掛かる番組なんかさっさとTBSに返してしまえ」と怒鳴ったというが後の祭りである。

ここに、クレージーキャッツが8時だョ!出発進行に専念するために他の仕事を断ったことに対する損失補填が加わる。それも踏まえた予算は前もって計上していたが、その事前計上は簡単に使い果たした。

日本テレビは各番組に予算削減を命じることとなった。それは、クレージーキャッツ主演のシャボン玉ホリデーも例外ではなく、クレージーキャッツ全員での出演ではなくクレージーキャッツの誰か一人が出演しているかどうかという番組に変貌した。

 

渡辺プロダクションの失敗

さて、ここまでの経緯をドリフターズ自身はどのように眺めていたのか?

一言で言うと、不信感、である。

ビジネスを考えてのことであると頭では理解しても、事務所とテレビ局の都合で自分たちがモノのように扱われてやりとりされることには納得いかなかったのである。それでも、事務所の先輩であるクレージーキャッツが奮闘してくれており、TBSのプロデューサーが辞表覚悟に局に掛け合ってくれた上に、自分たちがいない間も番組の質を維持してくれたことは感謝していた。

ただ、事務所に対する不信感はぬぐいきれるものではなかった。

結果、ドリフターズをはじめとする渡辺プロダクション所属の芸能人たちが何組か渡辺プロダクションから離脱し、のちのイザワオフィスを作り出すきっかけとなった。

 

さらに、「日曜日だョ!ドリフターズ!!」の失敗に加え、渡辺プロダクション製作の歌番組と日本テレビ製作の歌番組の時間が重なったこともあって、渡辺プロダクションに所属する芸能人が日本テレビ系列の番組に出演できなくなるまでになった。これはクレージーキャッツも例外ではなく、代表作であるシャボン玉ホリデーは昭和47(1972)年に最終回を迎えるに至った。

この時代、芸能人の半数が渡辺プロダクションに所属していたと言われ、渡辺プロダクションに頼らない番組作成は不可能であるとまで言われていた。その不可能とまで言われていた渡辺プロダクション無しでの番組製作が必要となった日本テレビは、渡辺プロダクションに頼らない番組製作を最終目的として、芸能人発掘番組である「スター誕生」を、「日曜日だョ!ドリフターズ!!」終了直後である昭和46(1971)年10月に開始させた。

また、渡辺プロダクション日本テレビとの対立をきっかけとし、渡辺プロダクションからジャニーズ事務所が名実ともに独立した。もともとジャニーズ事務所渡辺プロダクションの系列会社であったのだが、フォーリーブス郷ひろみといったスターの誕生に伴って独立色を強めてきていた。それでも、渡辺プロダクションに所属する芸能人の番組に出演をさせてもらう形での協力関係は維持していたのであるが、日本テレビとの決別まで話が至った渡辺プロダクションと同調せず、日本テレビとの協力関係は維持するべきとしたジャニーズ事務所は、このタイミングで渡辺プロダクションから名実ともに独立した。

 

ドリフ大爆笑の誕生

 

昭和46(1971)年10月、8時だョ!全員集合が復活。

中断前、視聴率25%で大騒ぎされていた8時だョ!全員集合であるが、復活後の8時だョ!全員集合の視聴率は25%どころの話ではなかった。昭和48(1973)年には視聴率50%を突破し、その後もコンスタントに視聴率40%台を叩き出すお化け番組へと成長したのである。

通常、年末年始となると特番が組まれるものであるが、特番よりも視聴率がとれるということで1月1日であろうと8時だョ!全員集合はそのまま放送されただけでなく、裏番組が8時だョ!全員集合であるという理由で、毎年1月1日に放送している番組を、1月2日に変更することも珍しくなくなった。

ただ、それだけの視聴率を稼ぐスターへと成長したドリフターズであるが、テレビ出演は極めて少なかった。前述の通り、8時だョ!全員集合に全てをつぎ込んではじめてこれだけの視聴率の番組が成立するという仕組みであるため、他の番組に出演するスケジュールが確保できなかったのである。

無茶を承知でスケジュールを突っ込むのは不可能であるというのは日本テレビが証明しており、誰もが、TBSが手放すまでドリフターズの番組を作ることは不可能であると諦めていた。

このとき、フジテレビが全く想定していなかった方法でドリフターズの番組を作ることに成功した。

まず、番組製作は渡辺プロダクションから独立したイザワオフィスが担当する。フジテレビで放送する番組ではあるが、テレビ局では無く芸能事務所の作成する番組であるため、他局の社員であるTBSの番組スタッフの協力を得ることが可能である。

さらに、番組製作会議にドリフターズはいっさい関与しない。台本も完成し、リハーサルも完了し、セット作成も全て終えた後からの時間だけをドリフターズのスケジュールとして確保するのである。

 

この番組はただ一つだけ、「日曜日だョ!ドリフターズ!!」から継承したものがあった。

オープニングである。

「日曜日だョ!ドリフターズ!!」のオープニングは月月火水木金金の替え歌である「よ~る~だ、七時~だ……」となっていたのを「よ~る~だ、八時~だ……」に変えたものであった。

もっとも、このオープニングは昭和52(1977)年限定であった。ドリフターズの五人は「ドリフ大爆笑 ’77」と昭和52(1977)年限定であることを示す法被を着て撮影しており、翌年には撮影し直しであることが宿命づけられていたのである。実際、昭和53(1978)年以降毎年のようにドリフ大爆笑はオープニングを変えていた。

もっともおなじみのあのオープニングに固定されたのは昭和58(1983)年のことである。

youtu.be

 

安室奈美恵氏の引退報道を契機として根の深い問題について考えてみる

安室奈美恵氏の引退を決めることができるのは、安室奈美恵氏本人だけ。

今回の安室奈美恵氏だけでなく、多くの人が「まだできるのに」と残念がる中で第一線から退くことは珍しくない。それがプロの世界の宿命とも言える。安室氏が引退を決断した理由は知る由もないが、想像するに、歌手としての安室奈美恵であり続けることができなくなったからというところではないであろうか。

プロスポーツの世界では毎年のように現役選手が引退をするし、音楽の世界でも、将棋の世界でも、新人が登場するのと入れ替わるように引退する者が現れる。決意をしての引退であることもあるし、契約できなくなったがために引退を選ばざるを得ない状況に追い込まれることもある。

そして、多くの人がこう考える。残酷な世界だと。

 

だが、本当の残酷はこれから先の私の記載である。

安室奈美恵氏の引退というニュースのインパクトが大きいがために引退を特別なことと考えてしまいがちであるが、引退というのは、全ての働く人に課せられている宿命であることを忘れてはならない。自分よりも優れた者が出現して立場を失うこともあれば、身につけていたスキルが時代遅れとなったがために第一線から退かざるをえなくなることもある。その職を成すことで生活していた者がその職を成せなくなるというのは、全ての働く人に訪れる宿命であるとしてもよく、もし、その職を成しているまま命を終えることがあるとすれば、それは長い現役時代を意味するのではなく若くして命を落とすことを意味するほどなのである。

ここまでは人類誕生から現在まで続いている普遍の現象であるが、問題は、人類がその寿命を長く延ばしてきたということ。かつては定年退職を迎える前に亡くなる人のほうが多かったが、今は定年退職を迎えてから20年は生きることも珍しくなくなったのだ。

そこでこのような問題が出てくる。

定年退職を迎えてから、すなわち、職を成すことで生活をしていた日々が終わりを迎えてから、死を迎えるまでの20年、30年、さらには40年をどう生きるかという問題である。年金があるからどうにかなるとか、貯金があるからどうにかなるとか考えるのは、残酷な話であるが、甘い。年金支給開始年齢はこれから先後ろ倒しになることは目に見えているし、貯金があったとしても年金支給開始年齢を充足できる可能性は低い。

かといって、寿命が延びたのに合わせるように定年退職が長く伸びることは期待できない。経営サイドからすれば、いかにベテランであると言っても、人件費が限られているならベテランよりも若い者を選ぶ。ベテランと若手と同じ能力で同じ給与だとしたらという条件のときに限らず、ベテランのほうが能力が高くてもこれからの企業経営を考えたら若手を選ぶというのはおかしな話ではない。現時点で誰かに雇われて働いて給与を得ている人は、定年延長が数年あったとしても、年金支給開始までのブランクが生じることを覚悟しなければならないのである。

引退したあとの生き甲斐について危惧するよりも先に、引退したあとの生き方、それもどうやって食料を、どうやって衣料を手にし、どうやって家賃を、どうやって医療費を捻出するかという切実な生活問題を考えなければならない。

 

安室奈美恵氏が明日の生活に困るということは考えづらい。しかし、多くの者はある日突然職業を失い、年金を得られず、職に就くこともできず食を得る方法も失われるときが来ることを考えなければならない。

来るかもしれないそのときに備えて何をしておくべきか?

二つある。

一つは肩書きに頼らない技術力を身につけておくこと。「探さなければ職はいくらでもある」という考えは捨てた方が良い。今いる会社で何をしているかなどというのは転職市場において何の役に立たない.むしろ邪魔になる。課長であった、部長であった、取締役であったというのは、過去の自分についての自慢のネタになってもその人を雇いたいと思わせるものではない。扱えるコンピュータ言語が何であるか、あるいは、英語の他に自由自在に扱える外国語として何があるかといった、肩書きに頼らないはっきりと見えた技術力があるならば次の職を探しやすくなる。

二つ目は人のつながりを持つこと。職場以外につながりの無い人は、職場を失った後で待っているのは孤独である。孤独に陥っている人に待っているのは、次の生きる手段ではなく、生きていくときの支えとなる人がいないという現実である。

以上を踏まえると、暗い現実が見えてしまう。

社畜と評されながら仕事に人生を捧げた独身の中年は老年になったらどうなるだろうか?

職業を失い、人のつながりを失い、家族との連絡も取れず、とれたとしても家族は故人となっていたとしたら、その人はどうなってしまうのだろうか。

 

そして、前述の「その人」の中には私も含まれている。

 

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

 

 

1時間2980円について考えてみる

最近、1時間2980円のマッサージ店が増えてきている。

肩こりであったり、腰の張りであったりと、身体の疲れを癒やしてくれるマッサージ店自体は以前から存在していたが、その値段が目に見えて下がってきているのだ。

 

安くなることは消費者としてありがたいことと思うかもしれないが、ここにはきわめて大きな問題がある。

その料金設定で従業員にまともな給与が支払われるのか、という点である。

 

TKCの調査によると、マッサージ店の人件費は売上の54.4%である。マッサージというのは1人の施術師が1人の顧客と応対するため、1人あたり1時間2980円というのは、施術師の1時間あたりの売上が2980円ということである。その54.4%が人件費ということは、時給にすると1621円。アルバイトの時給と比べると高いと思うかもしれないが、年収で考えると324万円である。

仮に年2回のボーナスがあったとしても年収が400万円を越えることは難しい。

 

ところが、実際に1時間2980円の店の人材募集要項を見てみるとこうなっている。

平日/10:00~20:59・・・・(60分)1800円~
平日/21:00~23:59・・・・(60分)2000円~
平日土日祝24時以降・・・(60分)2200円~
指名料・・・・・・・・・・200円

 

recruit.hogushiya-ikoi.com

 

いったいどういうことなのか?

 

そこで調べてみたところ、面白い事実が出てきた。

 

まず、先に人件費率が54.4%であると示したが、では、残る45.6%は何なのか?

通常の事業では、売上から原価を引き、家賃や設備の維持費、さらには広告費といった販管費(販売費及び一般管理費)を引き、人件費を引いて残った利益(営業利益)が業界平均の数値を出さないと話にならない。マッサージ店におけるその水準は5%であり、マッサージ店は5%の利益率を維持できるか否かが事業継続可否の分かれ目となっている。

1時間2980円で上記の時給を出した上で5%の営業利益を出すとなると、1800円だと34.6%、2000円では27.89%、2200円では21.17%が原価と販管費に回せる金額となる。

 

これで原価を販管費を出せるのだろうか?

 

結論から言うと、出せる。前述の人件費を出したままで営業利益5%は捻出可能なのだ。

 

マッサージ店の原価はさほど高いものではない。消耗品としてはマッサージ時に使用するオイル程度で、タオルや着替えは洗濯で再利用可能、ベッド等の設備も原価と言うよりは設備費である。初期投資費用は要するが原価とするほどではない。ゆえに、原価を抑えることでの販売価格抑制は不可能である。

だが、販管費に目を向けるとどうか?

家賃や光熱費を抑えることは可能なのだ。

店を大きくした上に郊外に店舗を構えた上で従業員を増やすと、従業員一人あたりの販管費を減らすことが可能となる。

 

とは言え、1日8時間、週40時間労働の全てを時給2200円で計算しても年収は440万円である。これは時給2200円の年2000時間勤務で計算した数値であり、実際の年収はもっと低くなる。

これで従業員をつなぎ止めることが出来るであろうか? 最低賃金よりははるかに高い給与であるとは言え、給与所得者の平均給与水準よりは低いのである。

 

ビジネスモデルとして成立させるため、1時間2980円の店はそもそも従業員をつなぎ止めるという概念を捨てている。1時間2980円の店で働く際に、従業員として契約するのではなく、業務委託契約をするのである。店は店舗の設備を貸し出し、料金の徴収を代行して、手数料を取った余りを施術師に支払っているのである。

この形態にすると、従業員を社員とさせないことによる店側の負担を減らすことが可能となる一方、従業員にとっては正社員としての安定を獲得できない上に、年金は国民年金、保険は国民保険となる。現在の労働状況の悪化の一環としてよく見られる光景である。ただし、正社員ではなく業務委託形態であるために、正社員に求められる時間の制約は多少であるが猶予がある。

 

私はここに一つのチャンスを見る。

従業員として、子育て中であるためにフルタイムの仕事ができない人と業務委託契約を結んだらどうなるか、あるいは、無年金高齢者と業務委託契約を結んだらどうなるか、と。

子育てに追われるために8時間労働が困難な人に対し、子を保育園に預けている間の勤務契約を結んだらどうなるか? 欲を言えば、店に保育園や託児所が併設されていたらどうなるか?

あるいは、年金を納めたくても納めることができなかったがために無年金のまま定年を迎えてしまった高齢者と、施術師として業務委託契約を結んだらどうなるであろうか?

さらに言えば、年金支給開始年齢が遅れることは目に見えている。定年年齢が70歳、75歳と上がったとしても、定年を迎えてから年金を受け取るまでの帰還の空白が存在する可能性は高い。このときの職業の一環としてマッサージ店の施術師というのは選択肢の一つとして認められるのではないであろうか?

 

1時間2980円の店は、安いマッサージを提供するビジネスモデルである。と同時に、行政が介入することによって、働きたくても働くことのできない人に対する働く場を提供する場所へと変化させることができるのではないか?

 

いわゆる「お上」について考えてみる

権力者を「お上(おかみ)」と考え、権力に対する抵抗をレーゾンデートルとする人たちがいる。第四の権力と見なされる人たちだ。

愚かな権力者が圧政を敷いているのが現在社会であるというモデルを示し、圧政を敷く「お上」に対決する正義の自分という姿に自らのアイデンティティを置いている彼らは、自分のことを庶民の代弁者であると考え、庶民は自分の後ろに付き従う存在と捉えている。庶民はすべからく「お上」に抵抗すべき存在であると考え、「お上」に従う庶民を愚鈍な存在と見なし、そうした庶民に対する啓蒙が自らに課せられた役割であると考えている。

 

情報化社会が誕生する前まで、この第四の権力は絶大なものがあった。三権を覆すこともあったのだ。

この第四の権力に対し、情報化社会が第五の権力を生み出した。まさに第四の権力が啓蒙の対象と見ていた庶民が、情報化社会の到来によって第五の権力の所有者となり、権力の監視を前提とするメディアが逆に監視の対象となり、権力の嘲笑を前提とする風刺は、風刺者自身の嘲笑を生み出すにいたった。

 

かつては、第四の権力は庶民の側に立ったエリートであるという認識があった。だが、第五の権力を手にした多くの人は、その認識が誤りであると気づいた。第四の権力はエリートではなくノーメンクラトゥーラだったと気づいたのだ。

 

啓蒙の対象と第四の権力が考える庶民という存在は、第四の権力が考えているほど愚かではなく、それぞれに異なる考えを持つ存在である。第四の権力に身を置いている人にとっては認めたくないことであろうが、知性も、教養も、一般常識も、第四の権力が第五の権力を圧倒しているわけではない。むしろ上回っている。

第四の権力の提供するコンテンツである、新聞、雑誌、ラジオ、テレビの全てで、コンテンツ受容者の数、定期購読者数であったり、販売部数であったり、テレビ視聴率であったりといったコンテンツ受容者の数が減ってきているのも、第四の権力の提供するコンテンツが第五の権力である庶民の知的欲求を満たす存在に至っていないからである。

下品とか、くだらないとかの声が直接第四の権力に届けられるならまだマシで、第四の権力のもとに何の声も届かないまま、庶民が第四の権力から離れている。現在進行形で離れていっている。これが現在起こっていることである。

 

「お上」に逆らうことにレーゾンデートルを感じている人にとっては認めたくないことかもしれないが、第四の権力こそが今や「お上」になっている。第五の権力にとっては、三権よりも、第四の権力のほうが目障りな「お上」であり、「お上」に従って行動する愚鈍な存在は第四の権力、そして、その第四の権力に従う側のほうになっている。

第四の権力にある人は言うであろう。「権力者に抵抗しよう」と。

第五の権力にある人は言う。「その抵抗すべき権力とは第四の権力のほうである」と。

 

第五の権力---Googleには見えている未来

第五の権力---Googleには見えている未来

 

 

マイナス票についてまとめてみる

この記事の最後で述べた、選挙におけるマイナス票についてまとめてみた。

tokunagi-reiki.hatenablog.com

 

中世のヴェネツィア共和国では、選挙でマイナス票を投じることができた。

どういう仕組みになっていたかと言うと、こういう感じ。

 

普通、選挙というのは当選させたい人に一票を入れるものだが、ヴェネツィア共和国では、落選さえたい人に一票入れることもできた。

例として、定数3で、立候補者が5名の選挙があるとする。なお、わかりやすくするために選挙権を持っている人は100人とする。

A、B、C、D、Eの5名の候補者がいて、それぞれの得票が下記の通りであると

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普通の選挙であれば、A候補、B候補、C候補の3名が当選する。

 

だが、ヴェネツィア共和国ではプラス票だけではなくマイナス票もあった。一票を当選させたい候補者へのプラス票として使用するか、落選さえたい候補者へのマイナス票として使用するかを有権者が選べたのである。

仮に「どうしてもC候補を落選させたい」という思いを抱いている人がたくさんいたとして、プラス票しか投票できない場合は、「C候補のライバルになりそうなE候補に投票する」、あるいは、「消去法で一番マシなA候補に投票する」という選択をすることとなる。

ところが、マイナス票が可能となるとこうなる。

 

100人の有権者がそれぞれ、下図のような投票をしたとする。 

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まず、プラス票よりマイナス票が多いC候補が外れる。「C候補を落選させたい」という想いはここで結実する。

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その上で、プラス票の多い候補から3名が当選する。

重要なのは、プラスマイナスの合計で決めるのではなく、合計がプラスになる候補者の中からプラス票の多い順に当選者を決めるのである。

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例としてプラス票とマイナス票の釣り合いを考えた表にしたが、実際のヴェネツィア共和国の選挙ではこのようなことがあった。

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マイナス票があまりにも多く、

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合計するとマイナスになる候補者を除外すると、定数を割り込んだのである。

こうなると、候補者の選定からやり直しとなった。

 

 

働くということについて考えてみる

働いて給料を貰うとはどういうことか?

 

あの議員について書くつもりはないと言っておきながら、あの議員の発言について考えさせられることがあったので、この記事を載せた。

 

給料を突き詰めて考えると、人生を引き受けることの対価ではないかと考えられるのだ。

 

孤島で一人きりで生活しているという人でもない限り、人は誰かの仕事をしてもらうことで人生を成立させている。自分で田畑を耕す代わりに農家の人が耕して収穫してくれたコメや農作物を買う。自分で服を作る代わりに服を作ってくれた人から服を買う。自分で家を建てる代わりに家を建ててくれた人から家を買う。無論、直接農家に支払うわけではなく、直接縫製工場に支払うわけでなく、直接建築現場で支払うわけではない。支払う相手はスーパーマーケットであったり、ショッピングモールであったり、不動産屋であったりするわけであるが、そこでの支払いは、生産者にもつながる。

田畑を耕す人は消費者の人生の一部である食を引き受けることの対価を得る。

縫製工場で働く人は消費者の人生の一部である衣を引き受けることの対価を得る。

建築現場で働く人は消費者の人生の一部である住を引き受けることの対価を得る。

スーパーマーケットで、ショッピングモールで、不動産屋で働く人もまた、食を、衣を、住を引き受けることの対価を得る。

生産から店舗に運ぶ人もまた同じだ。消費者の人生の一部を引き受け、消費者の手元に届くことを引き受けることの対価を得る。

全ての働く人は、何かしらの形で誰かの人生に関わり、誰かの人生を引き受け、その他以下を引き受ける。それは人生を引き受けることの責任に対する対価であるとしてもいい。

 

もし、人生を引き受けることの責任をとれないというのであれば、それは給与を受け取る資格を持たないということである。

もし、引き受けている人生の量に比べて受け取る給与が少ないというのであれば、それは支払う側が自らの人生の重さを認識していいないということである。

もし、人生を託すことを、そして、人生を引き受けることを拒否するのであれば、それは、この社会における自らの存在を喪失することを意味する。

 

働くということは、人生を引き受ける責任と、それに見合う対価との交換である。責任だけは許されない。対価だけも許されない。責任と対価の交換、それが、働くということである。

炎上商法について考えてみる

炎上商法はビジネスとして有効なのか?

単に敵を増やすだけではないのか?

 

結論から記すと、有効である。

 

どういうことか?

 

ビジネスの基礎は顧客を創り出し顧客を維持することである。

仮に99%を敵に回すこととなっても、確実に計算できる1%を顧客として創出し維持することに成功すれば、ビジネスとしては有効である。

 

スマートフォンを操作しているときに不意に広告に触れてしまい、広告先のサイトに飛んで行ってしまった、あるいはアプリのダウンロードサイトに飛ばされてしまったという経験のある人はいるだろう。

これを多くの人が不満に感じる。

そして、こう考える。

「何でこんなことをするのか」

と。

 

広告先のサイトに飛ばしたり、アプリのダウンロードサイトに飛ばしたりする仕組みを作った企業、そして、そのサイト先の企業に対して不満を持つ人は多い。企業には不満の声も寄せられる。しかし、企業はその不満に対して応えることはしない。

なぜか?

その企業にとって、99%の不満はどうでもいいことなのだ。広告先のサイトに飛んでしまった、アプリのダウンロードサイトに飛んでいってしまった人のうち、1%が反応して、その企業にお金を落とすのであれば、企業倫理として許されるかどうかはともかく、企業のビジネスモデルとして無くはない。

どんな卑怯な手段であろうと、それが悪評に由来するものであろうと、99%の不満を捨てた上で1%の顧客を獲得できれば、そして、その1%の人がお金を落としてくれるなら、企業としてはそれでいいのである。それが企業倫理として許されないことであるという批判も、その企業の耳には入らない。

 

もっとも、純然たるビジネスの世界で炎上商法は通じないようになっている。

 

少し前、CSR(企業の社会的責任)という言葉が叫ばれていた。

現在、ESG(環境、社会、企業統治)という言葉が叫ばれるようになってきている。

そして、ESGでの企業統治には99%の意見を無視しないという点も含まれる。

炎上商法により迷惑を被る99%の人の声を無視することが許されなくなってきているのが現在の企業に対して向けられている。

 

ところが、ビジネスの世界には存在する自浄作用が働かない炎上商法が通用する世界が存在するのだ。

それは、政治の世界。

 

多くの人が実感するであろうが、選挙カーや街頭演説は単なる騒音でしかなく、あれを聴いてその人に投票しようという気は起こらない。しかし、選挙の当選という一点だけを考えれば選挙カーも街頭演説も有効である。99%の不満を集める行動をしても1%の支持を確実にできれば当選は可能なのだ。

 

仮に人口10万人の市があり市議会議員選挙に立候補すると仮定してみよう。選挙カーや街頭演説で10万人のうち9万9000人がその立候補者に不満を持ったとしても、残る1%、1000人の支持を集めることができれば、市議として,トップ当選はともかく当選券に食い込むことはできる。無論、1000人の全員が有権者であるとは限らないから1000票の得票が期待できるわけではないが、それでも半分が投票したとして500票あれば、人口10万の都市で市議として当選することは不可能ではない。

実際、およそ人口10万人の大阪府泉佐野市の市議会議員選挙で、464票の得票で当選した市議がいる。あくまでも数字上は、市民の99%の不満を集めていたとしても、市議になれるわけである。

※この市議が市民の99%から不満を集めているというわけではなく、あくまでも数字上はそうだと言っているだけです。

 

現在の選挙の仕組みは問題が多々あるが、その問題の一つに、99%の不支持を反映させる手段がないことが挙げられる。有権者の99%が我々の代表として相応しくないと言っているのに、残る1%の得票があるために99%の意見が無視されることが、現在の選挙の仕組みとして存在している。

 

この炎上商法を利用した政治家がいる。

と言っても、現在進行形で騒がれているあの女性代議士のことではなく、こいつ。 

わが闘争(上下・続 3冊合本版) (角川文庫)

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よく、ナチスは民主主義によって成立した政権だという言われ方をするが、政党としてのナチスの支持率は決して高いものではなかった。

ナチス国家社会主義ドイツ労働者党)が政権を握るまでの5回の選挙での主な政党の得票率と獲得議席数をまとめると下記の表の通りとなる。

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ここで注目していただきたいのが、当初は泡沫政党であったこと。それが、得票率20%を越え、30%を越え、40%を越えるまでに成長した。

成長したが、50%は越えていない。当時のドイツ人はナチスを熱狂的に迎え入れたわけではなく、得票率過半数を許すことがなかったのである。

普通に考えれば過半数の支持を集めているわけではないのだから政権をとるなど出来ないはずである。さらに言えば、当時のドイツ人はナチスに対する反感を持っていた。過半数のドイツ人が反感を抱いていたのである。だが、当時のドイツには、その過半数の反感の声を国政に反映する仕組みが存在しなかった。

このときのドイツは単純な比例代表制である。ナチスに反発を見せたとしても、ナチス議席を獲得することを妨げる仕組みがなかったのだ。ナチスが泡沫政党であった頃、それこそ、得票率が3%似満たない政党であった頃は98%のドイツ人がナチスに反感を抱いていたが、その98%の意思を無視して議会に議員を送り込むことができる仕組みになっていたのだ。

ナチスはそれを利用した。

どんなに批判を集めようとそれを無視し、過激な主張を繰り返し、炎上商法で注目を集め、自分たちへの支持をする人を増やして選挙に挑み、選挙を重ねることで政権を掴み取ることに成功したのである。

歴史にIFは厳禁ということになっているが、仮に当時のドイツに、過激な主張をして、それこそ炎上商法で着目を浴びるような泡沫政党に対し、炎上商法にNOを突きつける多数の声を反映させる仕組みがあったならば、ナチスは迷惑な泡沫政党として名を残しただけで自然消滅し、あのような悲劇は生まれなかったであろう。

 

現在のドイツは、得票率5%を基準として泡沫政党を切り捨てる仕組みが出来ている。それが完璧というわけではないが、少なくとも99%の否定の声を無視するような仕組みではない。炎上商法であろうと着目を集めて限られた支持を獲得することで権力を掴むという仕組みを許さないようになっている。

だが、今の日本の選挙制度は、一人のみが当選する選挙を除き、過激な主張を繰り返す泡沫を切り捨てる仕組みが存在しない。それこそ、99%の不満を集めていても、99%の不満の声が政治に反映されるようにはなっていないのである。

 

では、99%の不満の声を政治に反映させる方法はないのか?

ある。それもいくつか。

たとえばアメリカやイギリスでしているような小選挙区制は一つの手段であるが、私はここで、中世のヴェネツィア共和国で実践していたマイナス票制度を提唱したい。

 

選挙権を持つ人は、代表に相応しい人にプラス1票入れるか、代表に相応しくない人にマイナス1票を入れるかのどちらかを選べるのである。その上で、プラス票がマイナス票より多かった人、つまり、代表に相応しいと考えた人より相応しくないと考えた人のほうが多い候補者は、どれだけ得票を得ていたとしても落選決定。その上で、残った人のうちプラス票の多い人から当選者が決まっていくという仕組みである。

 

意見の多様性は認めるべきである。だが、大多数の人が否定しているという意見を無視するようでは意見の多様性とは言えない。