徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

炎上商法について考えてみる

炎上商法はビジネスとして有効なのか?

単に敵を増やすだけではないのか?

 

結論から記すと、有効である。

 

どういうことか?

 

ビジネスの基礎は顧客を創り出し顧客を維持することである。

仮に99%を敵に回すこととなっても、確実に計算できる1%を顧客として創出し維持することに成功すれば、ビジネスとしては有効である。

 

スマートフォンを操作しているときに不意に広告に触れてしまい、広告先のサイトに飛んで行ってしまった、あるいはアプリのダウンロードサイトに飛ばされてしまったという経験のある人はいるだろう。

これを多くの人が不満に感じる。

そして、こう考える。

「何でこんなことをするのか」

と。

 

広告先のサイトに飛ばしたり、アプリのダウンロードサイトに飛ばしたりする仕組みを作った企業、そして、そのサイト先の企業に対して不満を持つ人は多い。企業には不満の声も寄せられる。しかし、企業はその不満に対して応えることはしない。

なぜか?

その企業にとって、99%の不満はどうでもいいことなのだ。広告先のサイトに飛んでしまった、アプリのダウンロードサイトに飛んでいってしまった人のうち、1%が反応して、その企業にお金を落とすのであれば、企業倫理として許されるかどうかはともかく、企業のビジネスモデルとして無くはない。

どんな卑怯な手段であろうと、それが悪評に由来するものであろうと、99%の不満を捨てた上で1%の顧客を獲得できれば、そして、その1%の人がお金を落としてくれるなら、企業としてはそれでいいのである。それが企業倫理として許されないことであるという批判も、その企業の耳には入らない。

 

もっとも、純然たるビジネスの世界で炎上商法は通じないようになっている。

 

少し前、CSR(企業の社会的責任)という言葉が叫ばれていた。

現在、ESG(環境、社会、企業統治)という言葉が叫ばれるようになってきている。

そして、ESGでの企業統治には99%の意見を無視しないという点も含まれる。

炎上商法により迷惑を被る99%の人の声を無視することが許されなくなってきているのが現在の企業に対して向けられている。

 

ところが、ビジネスの世界には存在する自浄作用が働かない炎上商法が通用する世界が存在するのだ。

それは、政治の世界。

 

多くの人が実感するであろうが、選挙カーや街頭演説は単なる騒音でしかなく、あれを聴いてその人に投票しようという気は起こらない。しかし、選挙の当選という一点だけを考えれば選挙カーも街頭演説も有効である。99%の不満を集める行動をしても1%の支持を確実にできれば当選は可能なのだ。

 

仮に人口10万人の市があり市議会議員選挙に立候補すると仮定してみよう。選挙カーや街頭演説で10万人のうち9万9000人がその立候補者に不満を持ったとしても、残る1%、1000人の支持を集めることができれば、市議として,トップ当選はともかく当選券に食い込むことはできる。無論、1000人の全員が有権者であるとは限らないから1000票の得票が期待できるわけではないが、それでも半分が投票したとして500票あれば、人口10万の都市で市議として当選することは不可能ではない。

実際、およそ人口10万人の大阪府泉佐野市の市議会議員選挙で、464票の得票で当選した市議がいる。あくまでも数字上は、市民の99%の不満を集めていたとしても、市議になれるわけである。

※この市議が市民の99%から不満を集めているというわけではなく、あくまでも数字上はそうだと言っているだけです。

 

現在の選挙の仕組みは問題が多々あるが、その問題の一つに、99%の不支持を反映させる手段がないことが挙げられる。有権者の99%が我々の代表として相応しくないと言っているのに、残る1%の得票があるために99%の意見が無視されることが、現在の選挙の仕組みとして存在している。

 

この炎上商法を利用した政治家がいる。

と言っても、現在進行形で騒がれているあの女性代議士のことではなく、こいつ。 

わが闘争(上下・続 3冊合本版) (角川文庫)

わが闘争(上下・続 3冊合本版) (角川文庫)

 

 

よく、ナチスは民主主義によって成立した政権だという言われ方をするが、政党としてのナチスの支持率は決して高いものではなかった。

ナチス国家社会主義ドイツ労働者党)が政権を握るまでの5回の選挙での主な政党の得票率と獲得議席数をまとめると下記の表の通りとなる。

f:id:tokunagi-reiki:20170720230431p:plain

ここで注目していただきたいのが、当初は泡沫政党であったこと。それが、得票率20%を越え、30%を越え、40%を越えるまでに成長した。

成長したが、50%は越えていない。当時のドイツ人はナチスを熱狂的に迎え入れたわけではなく、得票率過半数を許すことがなかったのである。

普通に考えれば過半数の支持を集めているわけではないのだから政権をとるなど出来ないはずである。さらに言えば、当時のドイツ人はナチスに対する反感を持っていた。過半数のドイツ人が反感を抱いていたのである。だが、当時のドイツには、その過半数の反感の声を国政に反映する仕組みが存在しなかった。

このときのドイツは単純な比例代表制である。ナチスに反発を見せたとしても、ナチス議席を獲得することを妨げる仕組みがなかったのだ。ナチスが泡沫政党であった頃、それこそ、得票率が3%似満たない政党であった頃は98%のドイツ人がナチスに反感を抱いていたが、その98%の意思を無視して議会に議員を送り込むことができる仕組みになっていたのだ。

ナチスはそれを利用した。

どんなに批判を集めようとそれを無視し、過激な主張を繰り返し、炎上商法で注目を集め、自分たちへの支持をする人を増やして選挙に挑み、選挙を重ねることで政権を掴み取ることに成功したのである。

歴史にIFは厳禁ということになっているが、仮に当時のドイツに、過激な主張をして、それこそ炎上商法で着目を浴びるような泡沫政党に対し、炎上商法にNOを突きつける多数の声を反映させる仕組みがあったならば、ナチスは迷惑な泡沫政党として名を残しただけで自然消滅し、あのような悲劇は生まれなかったであろう。

 

現在のドイツは、得票率5%を基準として泡沫政党を切り捨てる仕組みが出来ている。それが完璧というわけではないが、少なくとも99%の否定の声を無視するような仕組みではない。炎上商法であろうと着目を集めて限られた支持を獲得することで権力を掴むという仕組みを許さないようになっている。

だが、今の日本の選挙制度は、一人のみが当選する選挙を除き、過激な主張を繰り返す泡沫を切り捨てる仕組みが存在しない。それこそ、99%の不満を集めていても、99%の不満の声が政治に反映されるようにはなっていないのである。

 

では、99%の不満の声を政治に反映させる方法はないのか?

ある。それもいくつか。

たとえばアメリカやイギリスでしているような小選挙区制は一つの手段であるが、私はここで、中世のヴェネツィア共和国で実践していたマイナス票制度を提唱したい。

 

選挙権を持つ人は、代表に相応しい人にプラス1票入れるか、代表に相応しくない人にマイナス1票を入れるかのどちらかを選べるのである。その上で、プラス票がマイナス票より多かった人、つまり、代表に相応しいと考えた人より相応しくないと考えた人のほうが多い候補者は、どれだけ得票を得ていたとしても落選決定。その上で、残った人のうちプラス票の多い人から当選者が決まっていくという仕組みである。

 

意見の多様性は認めるべきである。だが、大多数の人が否定しているという意見を無視するようでは意見の多様性とは言えない。