徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

安室奈美恵氏の引退報道を契機として根の深い問題について考えてみる

安室奈美恵氏の引退を決めることができるのは、安室奈美恵氏本人だけ。

今回の安室奈美恵氏だけでなく、多くの人が「まだできるのに」と残念がる中で第一線から退くことは珍しくない。それがプロの世界の宿命とも言える。安室氏が引退を決断した理由は知る由もないが、想像するに、歌手としての安室奈美恵であり続けることができなくなったからというところではないであろうか。

プロスポーツの世界では毎年のように現役選手が引退をするし、音楽の世界でも、将棋の世界でも、新人が登場するのと入れ替わるように引退する者が現れる。決意をしての引退であることもあるし、契約できなくなったがために引退を選ばざるを得ない状況に追い込まれることもある。

そして、多くの人がこう考える。残酷な世界だと。

 

だが、本当の残酷はこれから先の私の記載である。

安室奈美恵氏の引退というニュースのインパクトが大きいがために引退を特別なことと考えてしまいがちであるが、引退というのは、全ての働く人に課せられている宿命であることを忘れてはならない。自分よりも優れた者が出現して立場を失うこともあれば、身につけていたスキルが時代遅れとなったがために第一線から退かざるをえなくなることもある。その職を成すことで生活していた者がその職を成せなくなるというのは、全ての働く人に訪れる宿命であるとしてもよく、もし、その職を成しているまま命を終えることがあるとすれば、それは長い現役時代を意味するのではなく若くして命を落とすことを意味するほどなのである。

ここまでは人類誕生から現在まで続いている普遍の現象であるが、問題は、人類がその寿命を長く延ばしてきたということ。かつては定年退職を迎える前に亡くなる人のほうが多かったが、今は定年退職を迎えてから20年は生きることも珍しくなくなったのだ。

そこでこのような問題が出てくる。

定年退職を迎えてから、すなわち、職を成すことで生活をしていた日々が終わりを迎えてから、死を迎えるまでの20年、30年、さらには40年をどう生きるかという問題である。年金があるからどうにかなるとか、貯金があるからどうにかなるとか考えるのは、残酷な話であるが、甘い。年金支給開始年齢はこれから先後ろ倒しになることは目に見えているし、貯金があったとしても年金支給開始年齢を充足できる可能性は低い。

かといって、寿命が延びたのに合わせるように定年退職が長く伸びることは期待できない。経営サイドからすれば、いかにベテランであると言っても、人件費が限られているならベテランよりも若い者を選ぶ。ベテランと若手と同じ能力で同じ給与だとしたらという条件のときに限らず、ベテランのほうが能力が高くてもこれからの企業経営を考えたら若手を選ぶというのはおかしな話ではない。現時点で誰かに雇われて働いて給与を得ている人は、定年延長が数年あったとしても、年金支給開始までのブランクが生じることを覚悟しなければならないのである。

引退したあとの生き甲斐について危惧するよりも先に、引退したあとの生き方、それもどうやって食料を、どうやって衣料を手にし、どうやって家賃を、どうやって医療費を捻出するかという切実な生活問題を考えなければならない。

 

安室奈美恵氏が明日の生活に困るということは考えづらい。しかし、多くの者はある日突然職業を失い、年金を得られず、職に就くこともできず食を得る方法も失われるときが来ることを考えなければならない。

来るかもしれないそのときに備えて何をしておくべきか?

二つある。

一つは肩書きに頼らない技術力を身につけておくこと。「探さなければ職はいくらでもある」という考えは捨てた方が良い。今いる会社で何をしているかなどというのは転職市場において何の役に立たない.むしろ邪魔になる。課長であった、部長であった、取締役であったというのは、過去の自分についての自慢のネタになってもその人を雇いたいと思わせるものではない。扱えるコンピュータ言語が何であるか、あるいは、英語の他に自由自在に扱える外国語として何があるかといった、肩書きに頼らないはっきりと見えた技術力があるならば次の職を探しやすくなる。

二つ目は人のつながりを持つこと。職場以外につながりの無い人は、職場を失った後で待っているのは孤独である。孤独に陥っている人に待っているのは、次の生きる手段ではなく、生きていくときの支えとなる人がいないという現実である。

以上を踏まえると、暗い現実が見えてしまう。

社畜と評されながら仕事に人生を捧げた独身の中年は老年になったらどうなるだろうか?

職業を失い、人のつながりを失い、家族との連絡も取れず、とれたとしても家族は故人となっていたとしたら、その人はどうなってしまうのだろうか。

 

そして、前述の「その人」の中には私も含まれている。

 

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

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