徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

所謂「子供向け」について考えてみる

Short+αで何度かドリフターズについて話題にしているし、ウルトラマン仮面ライダーについても何度か話題にしているし、アニメをよく観ることから、私を「いい年齢して子供向けのコンテンツに偏向している」と思われることもある。

たしかに一般的なイメージはそうだろう。さらに漫画家もやっているし、漫画を読むことが多いというのが加わると、所謂「子供向け」が加速する。

ところが、ここで言う「子供向け」とは何なのだろうか、と考える。簡単に捉えていい話であろうか? と。

 

8時だヨ!全員集合が好きで、ドリフのメンバーや番組のスタッフのインタビューなどを読むことも多いのだが、その中のどこにも、子供向けを狙って番組を作ったとは書いていない。多くの子供達が自分たちの作る番組を楽しみにしてくれていたことは知っていても、それは自分たちの笑いを求めていった結果であり、子供をメインターゲットとした番組を作ったわけではないのである。

これは、ウルトラマンを生みだした円谷プロダクションであったり、仮面ライダーを生みだした東映も同じで、多くの子供が視聴者になるであろうことは考えていても、最初から子供が観ることを主軸として番組を作ったわけではない。

 

バラエティ番組であったり、特撮ドラマやアニメーションであったり、そうした番組が多くの子供の支持を受けることはあっても、支持を受けるコンテンツは断じて、子供向けを考えて作ったコンテンツではない。

自分たちが信じて作り出したコンテンツに対し、多くの子供が支持をするというとき、それらのコンテンツには一つの共通点がある。

それは、本物、ということ。

 

ここでいう、「本物」とは何か?

「子供だまし」の反意語としてもいい。

「これでいいだろう」ではなく、「自信を持ってこのコンテンツを送り出す」という意識がそこにはある。

8時だヨ!全員集合は笑いにこだわった。

ウルトラマン仮面ライダーはドラマにこだわった。

歴史に名を残すアニメーションのその物語や作画や声や音楽にこだわってきた。

そこに妥協は無かった。

妥協を見せない本物だからこそ、多くの人が支持した。その支持する人たちの中には多くの子供達もいた。子供達だけがファンだったのでは無い。子供達もファンの一部を構成していたのだ。

 

子供向けと扱われているコンテンツに対して嫌悪感を見せる人、さらには我が子をこうしたコンテンツから離して育てようとする人は多いし、そういう教師もいる。そして、そうした者が考える「子供受けのコンテンツ」は、そのほとんどにおいて子供からの人気がない。皮肉にも、子供向けを謳っているのに、肝心の子供達からは拒否反応を示されるのである。

要は、つまらない。おもしろくない。

教育に良いとか、健やかに育つとか考えているのであれば、それは独り善がりの、無益どころか有害でしかない愚行とするしかない。

 

子供は大人が考えているほど愚かでは無い。子供向けを前提としたコンテンツを喜んで受け入れるとすれば、それは、コンテンツの面白さではなく、コンテンツを受け入れている姿を大人に見せつけるための、フリである。

 

子供に受け入れることを考えるのであれば、子供向けであることを全く考えず、自らがやりたいことを、本物と呼ぶに値するレベルのコンテンツとして形作ることが必要である。

 

 

8時だョ!全員集合の作り方―笑いを生み出すテレビ美術

8時だョ!全員集合の作り方―笑いを生み出すテレビ美術