徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

埼玉スタジアムでACL決勝の開催を求める声についてまとめてみる

2022年8月25日でのAFCチャンピオンズリーグ(以下「ACL」)準決勝に勝利したことで浦和レッズACL決勝に駒を進めた。ACL決勝はホーム&アウェイで開催することが決まっており、浦和レッズは決勝第2戦をホームスタジアムで開催できる権利を手にした。

そして、一つの問題が露呈した。

ACL決勝をホームである埼玉スタジアム2○○2(以下「埼玉スタジアム」)で開催できない可能性があるという問題である。

浦和レッズサポーターはどうにかしてACL決勝を埼玉スタジアムで開催できないかと模索し、署名活動を続けている。しかし、署名そのものは数多くの賛同を得てはいるものの、埼玉スタジアム保有する埼玉県において署名活動に対する反応は鈍いとするしかない。

いったい何が起こっているのか?

 

問題の経緯

そもそも埼玉スタジアムは芝の全面張り替え工事を2021年末から2022年初頭にかけて実施することが決まっていた。浦和レッズサポーターもそのことは承知しており、令和4(2022)年初頭は埼玉スタジアムが使えなくなることも当然のこととして受け入れていた。

ところがここで横槍が入った。2021年9月2日に市立吹田サッカースタジアムで開催されたカタールW杯最終予選の第1戦であるオマーン代表との試合を0対1で敗れたことから、「縁起が良い」という名目でサッカー日本代表埼玉スタジアムで開催して欲しいという要望が日本サッカー協会から埼玉県に寄せられ、埼玉県は日本サッカー協会の要望に応えて埼玉スタジアムの工事を1年間延期することが決まった。

www.jiji.com

 

この横槍に対する浦和レッズサポーターからの反応は反発であり、受け入れられないものとする声が多数挙がっていたが、日本サッカー協会からの要望に埼玉県議会議員も応えたことで埼玉県は工事の1年延期を決定した。既に芝の張り替えは必須であることが判明しているにもかかわらず「縁起が良い」というだけの理由で延期が決まったのである。さらに問題となったのが、日本サッカー協会からの工事延期の要望があったにもかかわらず、工事延期に伴う追加費用の負担は埼玉県の税金からの支出であったという点である。既にこの段階で浦和レッズサポーターからだけでなく埼玉県民からの反発が強くなっていたが、日本代表の縁起担ぎという理由だけで工事延期は強行され、埼玉スタジアムをホームとする浦和レッズは、2022年シーズンは芝張り替えが延期されたままのピッチをホームスタジアムとして試合することが強要された。その結果が、ケガ人続出のシーズンである。ACLの決勝には進むことができたが、それ以外は満足いく内容ではなく一度としてフルメンバーが揃うことはないままのシーズンとなった。

また、ACL決勝のスケジュールは当初、2022年内に完了するというものであった。しかし、2022年1月に2022年度のACLの日程が変更となったことが公表された。決勝が翌年2月に延期となるというものである。

www.soccer-king.jp

この瞬間、強行された工事延期の影響でACL決勝を埼玉スタジアムで開催できないという危惧が発生し、浦和レッズACL決勝に進出したことで危惧が現実化し、浦和レッズサポーターからの反発が生まれた。

単に工事と重なったから反発しているのではなく、サポーターの民意も県民の民意も無視して、日本サッカー協会からの横槍のせいで強行された工事延期の影響でACL決勝が埼玉スタジアムで開催できなくなりそうだから反発しているのである。浦和レッズサポーターは何も無茶を言っているのではない。被害を受けたせいでさらなる被害を受けているという二重苦を突きつけられていることの反発が浦和レッズサポーターを動かしているのが現状である。この反発は当然のこととするしかない。

 

反発に対する返答

当然ながら、浦和レッズサポーターが署名活動をし、数多くの署名が集まっていることは埼玉県にも届いている。しかし、埼玉県からの解答は以下の通りである。(以下は浦和レッズオフィシャルホームページからの転載)

 

(1) 芝生育成業者には別の業務を請け負う予定があり、圃場利用の再延長ができません。
現在予定の工事期間でなければ、育成した芝生が使用できず、改めて2年間かけて芝生を育成しなければなりません。仮に工事期間を変更する場合、芝生張替え工事は順調に契約ができた場合でも、令和6年11月着手となります。現在の芝生の状態で2年継続して使用すれば、地温コントロールシステムの老朽化がさらに進み、芝生のコンディション低下により、浦和レッズ及び対戦チームの選手には、これに伴うリスクが生じる可能性や会場の使用が困難に陥る可能性があります。

(2) 芝生張替え業者は、本年11月からの工事着手に向け、資機材や作業員の手配が概ね7割程度完了しており、現時点での工事期間の変更は業者に多大な損害を与えるとともに、同時に実施する観客席や機械設備等の他工事にも同様の影響があります。

2 工事期間を変更するためには、新たに発生する芝生の2年間の育苗費用(約1億5千万円)が必要となります。また、既発注の芝生張替え工事(約2億9千万円)及び使用中の芝生の県立高校での利活用工事(約1千2百万円)の契約解除に伴う損害賠償費用、同時期に実施する観客席、機械設備等の工事(約5億7千万円)の中断に伴う損害賠償費用が発生します。

3 御要望のとおり工事期間を変更する場合、貴社には、上記1のリスクに対応いただくとともに、上記2の経費を請求させていただくこととなります。

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なお、埼玉県が提示している予算はもっと低い金額であることは注記しておく。

www.pref.saitama.lg.jp

現時点での埼玉県からの解答の中に、ACL決勝を埼玉スタジアムで開催するという選択肢は無い。埼玉スタジアムサッカー日本代表の試合を開催するよう持ちかけた埼玉県議会議員からの返答は一応存在するものの、そこには自らの責任を認識する記載が皆無であった。

 

埼玉県が果たすべき対応策

まず、日本サッカー協会が工事延期を要請してきたこと、批判されていた工事延期を強行したのは埼玉県の側であることを認識すべきである。ACL決勝を埼玉スタジアムで開催するために工事をさらに延期するとなった場合に経費を請求するとあるが、今回の場合は埼玉県が加害者であり浦和レッズが被害者である。埼玉県からの解答は埼玉県のやらかした犯罪の後始末を犯罪被害者に押しつけるというものであり、埼玉県からの解答は言語道断とするしかない。

埼玉県が示すべき解答は、工事の再延期が必要となった場合は埼玉県が全ての費用を負担した上で工事すると示すべきであり、ここに日本サッカー協会が費用の部分負担を引き受けるならばまだ認められるが、浦和レッズに対する費用の追加負担を求めるという選択肢は無い。

また、莫大な経済効果が見込まれるACL決勝を他の都道府県で開催させるとなったならばそれこそ莫大な損失である。ACL決勝開催で地元への経済効果は最低でも20億円と見込まれており、工事延期に伴うACL決勝の埼玉スタジアム以外での開催は埼玉県に対する莫大な収入機会損失を意味する。

埼玉県は何としても埼玉スタジアムでのACL決勝開催を、埼玉県の責任で実現させる責任がある。

日本サッカー協会が果たすべき対応策

既に動き出しているが、日本サッカー脅威会は2023年2月から2023年5月へとACL決勝のスケジュールを見直すようアジアサッカー連盟に訴えている。これは次善の策として許容できるものである。そもそも今回の問題の発端は日本サッカー協会の難癖のせいである。

また、スケジュール延期は公平を期すという点でも理由付け可能な選択肢である。ACLのノックアウトステージはアジアを東西に分けてそれぞれで開催するというスケジュールであるが、東地区は2022年8月に準決勝まで開催した後に決勝まで半年間の空白が空くのに対し、西地区は2023年2月にノックアウトステージの準決勝までを終え、ただちに決勝戦を開催するというスケジュールになっている。西地区は実戦を積み重ねることでイレブンの戦術浸透が進む一方で連戦となる。決勝を迎えたときの疲労は並々ならぬものがあるだろう。一方、東地区は、すなわち浦和レッズ疲労状態だけを考えれば恵まれると言える。ただし、2022年度の全公式戦を終えてから3ヶ月近く実戦から離れるために戦術浸透度に難が生じることとなる。

ここで仮に2023年5月のACL決勝開催となれば、東地区も西地区も公平な状況でACL決勝を迎えることが可能となる。

 

その上で考えられるより現実的な解決策

埼玉スタジアムの芝の張り替えは、実は埼玉スタジアムメインピッチだけの張り替えではない。メインピッチに加え、埼玉スタジアム第2グラウンドの張り替えも同時に実施するというスケジュールになっている。

そして、埼玉スタジアムは天然芝の第3グラウンドと人工芝の第4グラウンドも存在する。

そこで、ACL決勝があくまでも2023年2月開催ということであれば、埼玉スタジアムメインピッチの芝は来年のメインピッチに敷く前提の芝を第3グラウンドで養生し、ACL決勝が終わり次第、第3グラウンドで養生していた芝をメインピッチに移設するという方法がある。

既に埼玉県の提示した工事予定にもあるが、埼玉スタジアムの芝の張り替えに合わせて観客席や機械設備の改修などの施設工事も実施するとある。この工事もACL決勝終了後からの工事とする。

仮に立ててみたマスタースケジュールだと以下の通りとなる。

ACL決勝を埼玉スタジアムで開催できる代わりに2023年3月から6月までの17週間に亘って埼玉スタジアムが利用できないこととなり、例年通りであればその間に多くて10試合、J1で7試合、ルヴァンで3試合のホームスタジアムが開催できないこととなるが、それでもACL決勝を埼玉スタジアムで開催できなくなるよりはまだマシである。

さらにこの10試合のホームスタジアムの開催を、駒場6試合(J1:4試合、ルヴァン2試合)、国立2試合(J1:2試合、うち1試合、あるいは2試合ともフライデーナイトマッチ)、熊谷2試合(J1:1試合、ルヴァン1試合)とすることで、国立開催による県外のサポーターの来場を促し、これまで主催試合開催実績のない熊谷での開催をすることで新たな県内のサポーター獲得が図れるようになる。ここで重要なのは、ACL決勝という特別な舞台として国立を利用するのでなく、あくまでもJ1リーグ戦の試合として国立で開催することで通常の浦和レッズの姿、浦和サポーターの姿を見せることで新規顧客を獲得することである。また、埼玉県のクラブということで浦和を応援してくれているが、埼玉スタジアムが遠いために簡単に見に行くことができないでいる人が、熊谷だったら観に行けるだろうと考えて熊谷まで足を運んでもらうことである。

さらに、駒場開催のタイミングをWe.リーグと合わせることで、We.リーグの試合を観たあとでJリーグの試合を観る、あるいはその逆で、Jリーグの試合を観たあとでWe.リーグを観るという観客を増やすことは、JとWe.の相乗効果を期待できる。

その上で、工事完了後の埼玉スタジアムで2023年度の残りの試合を開催する。ここで来場してくれるのは既存顧客だけでなく、埼玉スタジアム工事中に獲得した新規顧客である。

 

以上は全て私的なアイデアであり、批判や反論が多々生まれるであろうアイデアであることは承知している。

その上で、いかにすれば埼玉スタジアムACL決勝を開催できるかのアイデアを数多くの方が挙げてくれることを期待する。

おじいちゃんといっしょの23話と24話の間に7ヶ月のブランクがあったこと

本日ようやくおじいちゃんといっしょの第24話を公開できました。

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第23話の公開が去年の11月19日ですから、ちょうど7ヶ月のブランクがあったこととなります。マンガの公開としても「赤の本人」から5ヶ月以上のブランクがあります。

昨年11月19日公開

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昨年12月7日公開

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本年1月4日公開

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どうしてこうなってしまったのか?

 

一言で言うと平安時代叢書第十七集を書いていたからです。

平安時代叢書第十七集「平家物語の時代」は治承三年の政変から壇ノ浦の戦いに至るまでのこの国の5年半を描いた作品であり、1作品あたりだいたい20年から30年を記載する平安時代叢書の中では例外的に短い時代に焦点を絞った作品なのですが、書き記した文章量は過去16作+外伝2作のどれをも上回る数字になったのです。

平安時代叢書第十六集「平家起つ」は今年の5月31日に公開を終えて次回作は翌6月1日に公開することは決まっていました。決まっていたのですが「平家物語の時代」は書いても書いても書ききれない内容で、文字数で記すと58万9460文字、400字詰め原稿用紙の枚数でカウントすると1589枚という前代未聞の分量になってしまったのです。ちなみに、過去最高の分量であった平安時代叢書第十六集「平家起つ」は44万4067文字、400字詰め原稿用紙1207枚です。平家起つを書いている頃もとんでもない分量の作品になったと痛感していましたが、平家物語の時代は前作を軽々と越えて本人にも制御できない規模になってしまったのです。

前作を書き終えた直後から今年の6月1日の公開開始に間に合うように書き始めてきたものの、今年1月に「赤の本人」を公開した時点でこのままでは6月1日の公開開始に間に合わないことが予期され、ほぼ全ての空き時間を平安時代叢書の続編の作成に回すことにしました。これは自宅にいる時間だけではありません。通勤の往復時間もスマートフォンで文章を書き込み続け、通院で自宅を離れているときも待ち時間の全てを文章の書き込みの時間に回すという、書き終えてから一ヶ月も経ていないのによくもまあそんな無茶ができたものだと感嘆するしかないことをしていました。

 

そしてこれが想像もできないことだったのですが、平安時代叢書を書き終えた直後、想定ではおじいちゃんといっしょの第24話を描くつもりであったのですが、できませんでした。京子先生の平安時代講座やSE山城京一のP.F.ドラッカー講座が描けていたではないかと思うかも知れませんが、違うのです。いささめで公開しているマンガとおじいちゃんといっしょは違うのです。

京子先生の平安時代講座は平安時代叢書を書くときに調べたことを独立させてマンガに描く作品です。SE山城京一のP.F.ドラッカー講座はビジネスパーソンとして働いていることとMBA目指して学んでいることの中から独立して漫画に描く作品です。どちらも自分の日常の中からネタができあがる作品であり、平安時代叢書の執筆と並行して作ることができるマンガなのです。しかし、おじいちゃんといっしょは漫画を描くことに専念する環境を自分で作り出さないと生み出すことのできない作品なのです。

リハビリと称して5月の終わり頃から「4ページマンガ」という括りでTwitterに短編を頻繁に投稿したのは、自分の中にある創作モードを、平安時代叢書執筆モードからマンガ作成モードに切り替える作成モードに切り替える目的があったとも言えるでしょう。

あと、「4ページマンガ」を頻繁に投稿していた頃に両親の介護だなんだで病院や施設に呼び出されること2ヶ月間で7回というストレスの日々を過ごしていたことからの逃避の意味もあるでしょうが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「逃げる」ではなく「捨てる」である。

「イヤなことから逃げる」という言い方があるのですが、猛烈な違和感があります。

そもそも、その「イヤなこと」というのは耐えなければならないことなのでしょうか?

つらい職場から「逃げる」。

イジメから「逃げる」。

いやな部活から「逃げる」。

虐待する家族から「逃げる」。

 

果たして、こうした「逃げる」は正しい言葉なのでしょうか?

 

正確には「捨てる」ではないでしょうか。

 

つらい職場を「捨てる」。

イジメを「捨てる」。

いやな部活を「捨てる」。

虐待する家族を「捨てる」。

 

大した賃金も払わないのに休み無しで長時間働かせるような職場。

罵倒が飛び交い、暴力が繰り広げられ、恐喝や略奪が横行するイジメの現場。

顧問や先輩からの罵倒や体罰が横行する部活。

殴る、蹴る、怒鳴る、さらには書き記すのも憚られる虐待を繰り返す家族。

 

そんなの必要ありますか?

そんなのとの関わり合いを断つのは、「逃げる」ではなく「捨てる」なのです。接していてもメリットなど何もありません。人生を豊かにすることもなければ、未来に展望を築くこともありません。相手にするだけ時間の無駄なのです。

 

こう考えてみてはどうでしょうか。

相手は自分よりも格下なのだと。

格上である自分がわざわざ格下である相手のもとまで降りてあげて、接してあげて、相手にしてあげているだけでも感謝されるべきことなのに、格下の相手は感謝の言葉を掛けるどころかこちらを分不相応にも見下していると考えるとどうでしょうか。

格上として慈悲の心で接してあげてきたけれども、もうこれ以上相手にしてあげる必要も無くなったのだから、「捨てる」。

相手は「俺から逃げるのか」などと言うでしょうが、実際には「俺を捨てるのか」なのです。捨てられて困ることになった負け犬が放つ最後の遠吠えが「逃げるのか」なだけです。

そう考えれば、「逃げるのか」という言葉を無視して行動できるのではないでしょうか。

 

イヤなことは捨てましょう。逃げるのではなく、捨てましょう。

鬼滅の刃に対する論評の過去との類似性について考えてみる

令和に生きる多くの人が体験している。令和2(2020)年11月、劇場版「鬼滅の刃」 無限列車編が上映開始からわずか一ヶ月で230億円の累計興行収入を記録し*1、コラボレーション企画も含む経済効果が数千億円に達している*2ことを体験している。

もともと鬼滅の刃週刊少年ジャンプに連載されていた作品であり*3、令和元(2019)年より東京MXテレビジョン等でテレビ放送された作品であった*4週刊少年ジャンプでの連載を勝ち取り、アニメ化まで果たしたのであるから鬼滅の刃は文句なしに成功した作品であると断言できる。だが、鬼滅の刃はこれまでのヒット作を超えるムーブメントを生みだした。鬼滅の刃の単行本が書籍販売数ランキングを独占し*5、第70回NHK紅白歌合戦には鬼滅の刃の主題歌を歌うLiSAが出場して鬼滅の刃の主題歌である紅蓮華を熱唱した*6のみならず、紅白歌合戦の舞台でLiSA氏の背景に鬼滅の刃の映像が流された。いかなる大ヒット作品であろうとここまでの現象は起こっておらず、鬼滅の刃の残した諸々の実績は全て前代未聞のことである。

鬼滅の刃のブームは日常生活の中に重要な位置を占めるようになり、そして現在の劇場版の大ヒットを招いていることはもはや誰も否定できない。どんなにアニメを観ない人であろうと、どんなに漫画を嫌悪する人手あろうと、鬼滅の刃の生みだしたムーブメントから逃れることができなくなっているのが令和2(2020)年の日本国である。

と同時に、明らかに時代についていけなくなった人が、自らの体面を保つために斜に構えた記事を世に送り出している。鬼滅の刃の原作を楽しみ、テレビを楽しみ、映画を楽しんでいる人に対して、上から目線で的外れな論評している記事である。

このことを苦々しく感じている人は数多くいるであろう。

これは何も現在に始まった話では無い。作品こそ違えど、今から四半世紀前に誕生したこの作品についても起こっていた話である。

 

1995年~1997年に起こったこと

平成7(1995)年10月、その作品は数多くのアニメ作品の一つとして始まった。インターネットの普及率は低く、ネット上SNSはまだ存在せず、世論の多くは口コミとマスメディアによって形成されていた。
その作品はアニメーション雑誌では取り上げられることがあったものの、その他のメディアでの取り扱いはほぼ無かったといってもよい。ほぼ、と書き記すには理由があり、年が明けた平成8(1996)年1月、放送のちょうど折り返し地点を迎えた頃、読売新聞の1月22日にアニメーション雑誌以外で最初に言及した記事が見られるからである。

その作品を、新世紀エヴァンゲリオンという。

今でこそテレビ放送の最終回が話題となっているが、平成8(1996)年当時、本放送を見ていない人の間でエヴァンゲリオン話題となったのは、同年6月、エヴァンゲリオンのサントラCDが初登場でオリコン1位になったことに端を発する。時代は小室ファミリーの全盛期であり、小室ファミリーの次に何が来るかというのも話題になっていた。サントラCDがオリコンで1位を獲得したことで、小室ファミリーの次はアニメーションだという切り口からの雑誌記事が散見されるようになった。この段階ではじめてエヴァが社会現象として認知されたとすべきであろう。

エヴァンゲリオンのブームは夏になるとさらに加速することになる。CDが売れたことに始まり、原作単行本が爆発的に売れるようになったこと、箱根などのエヴァの舞台となった場所へ出かける若者が増えていることなどが話題になると、テレビや雑誌と言ったメディアで本格的にエヴァンゲリオンが取り上げられることとなる。

さらに映画化が発表されるとブームはニュースの素材となり、テレビや雑誌でエヴァンゲリオンが取り上げられるようになったのだが、ここで大問題が起こった。雑誌記者やテレビ出演者の中にまともにエヴァンゲリオンを見ていない人がいなかったのだ。現在のようにNETFLIXなどのようなネット配信なども存在せず、この段階ではまだ再放送もされていないとなると、録画していた人に全話視聴させてもらったあとでエヴァンゲリオンについてあれこれ語るか、そもそも観ていない状態であれこれ語るかとなる。

こうした現象に対し、別冊宝島330「アニメの見方が変わる本」の中で、ライターの諏訪弘氏は辛辣な一言を書き記している。

諏訪氏は平成9(1997)年6月時点で入手可能な全ての新聞、雑誌、書籍におけるエヴァンゲリオンについての言及をまとめており、いかに詳しく説明しているか、いかに斬新な切り口でエヴァンゲリオンを分析しているかを評している。*7

「『ヤマト』『ガンダム』に次ぐ第三の衝撃」としてエヴァンゲリオン特集記事を組んだキネマ旬報(1997年3月号)や、庵野監督へのインタビュー記事を2号連続で掲載するなど長期に渡ってエヴァンゲリオンを特集したクイックジャパンについてはかなり高い評価をしている。実際の記事に目を通してもライター自身がエヴァンゲリオンを視聴した上で記事を書いていることがわかる。

しかし、ブームだからという理由で慌てて記事を組んだような雑誌に対しては辛口の論評を記している。

オヤジ向けの解説。「大人の鑑賞にも耐える」という点を強調している。特に観るべき分析はない。

筆者の論旨がつかめない。肯定なのか、否定なのか? いやそもそも筆者はエヴァをきちんと見たことがあるのか?

取り残された者が、それでも体面を取り繕わねば、という悲壮感ばかりが漂う、別の意味で面白い紙面。

 

こうした評価に当時のエヴァンゲリオンブームの渦中にあった人は喝采した。言いたかったことをありのままに書いたことに賛同した。

メディアの的外れな論説や解説は鬱陶しかった。新世紀エヴァンゲリオンという作品を楽しみ、そのブームに乗り、映画を楽しみにしているのに、作品をロクに観てもいない人が上段から諭すようにあれこれ論評するのが鬱陶しかった。その論評の内容に耳を傾ける価値があるならまだしもそのような価値などなく、自らの知を伸ばす側面でもあるのかと思えばそれもないのが鬱陶しかった。自分より頭の悪い中高年が、エヴァンゲリオンを理解する知性も無いままに、ブームに乗っているエヴァンゲリオンを下からの上から目線であれこれ言うのが鬱陶しかった。

エヴァンゲリオンブームの渦中にあった人の多くは自分の未来について明瞭なイメージを掴むことはできていなかったが、ああいう鬱陶しさの出す側にはなりたくないという思いは一致していた。

 

それから四半世紀後の現在起こっていること

ブームがまさに起こっているとき、ブームについていけなくなった人が上から目線であれこれ言うのは人類の歴史上何度となく繰り返されてきたことであり、エヴァンゲリオンがそうであったように鬼滅の刃でも同じことが起こっている。

鬼滅の刃のブームに乗っている人にとっては鬱陶しいことこの上ないであろうが、おそらく、論評している人は鬱陶しさを生みだしていると全く感じていない。自分はまっとうな論評をしていると思っているし、その論評によって自らの知性と社会的地位を確立できたと考えている。

論評したい気持ちはわかる。論評して愉悦に浸るのもわかる。だが、その前に踏みとどまっていただきたい。

四半世紀前の酷評をもう一度繰り返すのか、と。

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自由と豊かさについて考えてみる

猪木武徳氏の著した「自由の条件:スミス・トクヴィル福沢諭吉の思想的系譜」(ミネルヴァ書房,2016年)を読み終えた。

 

トクヴィル1831年から1832年にかけてアメリカを旅行している。

そしてこのとき、自由と豊かさの関連についての実にわかりやすい例に直面している。

オハイオ州ケンタッキー州の二つの州の対比だ。

オハイオ州の合衆国加入は1803年、一方のケンタッキー州の合衆国加入は1792年と、ケンタッキー州のほうが10年早い。しかし、トクヴィルアメリカ旅行に出る直前の1830年国勢調査では、オハイオ州が93万人の人口を要していたのに対し、ケンタッキー州の人口は68万人に留まっていた。

さらに大きな差が付いていたのが農業生産性。オハイオ州のほうがケンタッキー州よりはるかに豊かな収穫を得ており、その差は年々拡張している一方であった。

地図で見るとわかるが、オハイオ州ケンタッキー州は隣同士の州である。気候も、土壌も、二つの州の間に大きな違いは無い。しかし、トクヴィルが訪れた1831年時点ではこの二つの州に大きな違いがあった。

 

奴隷制だ。

 

オハイオ州奴隷制を認めない州として誕生した。一方、ケンタッキー州奴隷制を認める州として誕生した。誕生時の選択の結果、オハイオ州は奴隷に頼らない産業を生み出さなければならない必要が生じたのに対し、ケンタッキー州は勤労そのものが奴隷の役割と認識される文化が生じてしまった。オハイオ州では働けば働くほど働いた本人が豊かになっていったのに対し、ケンタッキー州では働くことそのものが恥ずべきものと見なされるようになった。

常に手入れの行き届いている農地であるオハイオ州と比べ、ケンタッキー州の農地は手入れどころか荒れるがままに放置され、時折、奴隷主に率いられた奴隷が奴隷労働をさせられている光景を目にするだけであった。

ケンタッキー州オハイオ州に匹敵する収穫を得ることができるようになったのは、トクヴィルが帰国してから30年以上を経た南北戦争の後である。ケンタッキー州南北戦争において南部に加わらなかった奴隷州の一つであるものの、奴隷制廃止そのものは南北戦争終結まで待たなければならなかった。

 

トクヴィルが例に示した自由と豊かさとの関係は、19世紀のアメリカに限ったことではなく、人類の歴史において普遍のことと言える。

だが、近年の経済を見るとそうとは言い切れないのではないかと思う人も出てくるだろう。中国はどうなのか、と。

中国を評して自由の国と評する人はいない。民主主義もなく、政権批判も許されず、絶えず監視され続け、チベットやウィグルでは虐殺を繰り返している。自由を求めて戦っている香港の姿が連日ニュースになっているのを見て、中国を自由の国と評する人はいない。

しかし、中国が年々貧困になっている国と評する人もいない。日本経済が中国経済に追い抜かれ、ユニコーン企業の数も、企業時価総額も、新卒給与においても日本企業は中国企業に追い抜かれている。日本は今や、追い抜き返すどころか、差を付け続けられている一方だ。なぜ日本は中国に追い抜かれたのか、そして、豊かさにおいて敗れる国へとなったのか、日本は中国より自由な国なのではないかという思いと、それなのになぜ現状を迎えてしまっているのかという思いはディレンマを呼び起こすに充分だ。

 

ただ、ここには明確な回答がある。

日本は政治的には自由でも経済的には自由な国では無い。

日本は経済的に自由な国ではないというのはどういうことか?

日本の強すぎる消費者の姿がそこにはある。日本経済は、消費者にとってはありとあらゆる者が安値で手に入る天国だが、生産者にとっては何をやっても高値で売ることのできない地獄である。そう、日本は消費者を奴隷主とする奴隷経済になっているのだ。

消費者は企業に様々な要求を突きつけ、企業はその要求の全てに応えようとする。その中には安売りを要求する声もある。安売りに応えるとき待っているのは人件費の圧縮だ。残業代を支払わないサービス残業や、休憩時間という名目での拘束時間の長期化、さらには新卒採用の抑制による総人件費の圧縮が横行した結果、少しはマシな奴隷として正社員としてしがみつくか、悲惨な境遇の奴隷として不安定な雇用に耐えるか、その二種類しか存在しない。

アルバイトに正社員と同等の仕事量と責任を背負わせ、非正規雇用が当たり前のように存在し、一度でも正社員の道から外れてしまったらもう一度正社員になるのは難しい社会になってしまった。探さなければ職はいくらでもあるとは言うが、実際に探してみたところで自分に合うような職は、無い。職が無ければ起業すれば良いではないかと考える人も居るかもしれないが、起業はもっと難しい。起業を支える資金が少ないのもあるが、もっと重要な問題は起業に失敗したときに背負わされることになる責任の重さだ。金銭的責任もそうだが社会的責任についても日本の起業しづらさは異例とするしか無い。

起業しづらい以上、既存の企業に就職するというのがもっとも安全で安定した選択になるが、その選択のときに待っているのは、奴隷になるという結末。同じ奴隷になるならばよりマシな奴隷になろうとし、今の奴隷の地位にしがみつくか、今より劣悪な境遇の奴隷に落とされるかのどちらかを選ぶよう強要される。それが今の日本の経済だ。

 

日本経済をもう一度浮上させるのには何が必要か?

二つある。

一つは日本の勤労者を奴隷制から解放すること。

二つ目は、これまで奴隷の境遇をさせられていた人の損害を全て償うことだ。 

では、誰が償うのか?

消費者である。政府でも企業でもなく消費者である。

それまで消費者が突きつけていた要求のせいで生み出されてしまった奴隷制を改称させ、消費者に責任を取らせることが奴隷解放奴隷制に対する償いになる。

では、消費者にどうやって償わせるのか?

簡単だ。値上げをすればいい。その金額に値上げされてしまっては生活できないという不満の声も挙がるだろうが、その値段に値上げしなければ働く人は生活できないのだ。値上げに対する不満を全て無視して値上げをし、値上げ分を従業員の給与に回し、非正規雇用から正規雇用に切り替えさせ、奴隷労働をさせられている人を減らす。

このサイクルを生み出さない限り、日本経済に自由と豊かさを取り戻すことはできない。

 

 

このあたりのことは、SE山城京一のP.F.ドラッカー講座「マネジメント問題の解決策としてのM&A: M&A : As a Solution to Management Problems 」を参照。f:id:tokunagi-reiki:20191208010344j:plain