徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

「逃げる」ではなく「捨てる」である。

「イヤなことから逃げる」という言い方があるのですが、猛烈な違和感があります。

そもそも、その「イヤなこと」というのは耐えなければならないことなのでしょうか?

つらい職場から「逃げる」。

イジメから「逃げる」。

いやな部活から「逃げる」。

虐待する家族から「逃げる」。

 

果たして、こうした「逃げる」は正しい言葉なのでしょうか?

 

正確には「捨てる」ではないでしょうか。

 

つらい職場を「捨てる」。

イジメを「捨てる」。

いやな部活を「捨てる」。

虐待する家族を「捨てる」。

 

大した賃金も払わないのに休み無しで長時間働かせるような職場。

罵倒が飛び交い、暴力が繰り広げられ、恐喝や略奪が横行するイジメの現場。

顧問や先輩からの罵倒や体罰が横行する部活。

殴る、蹴る、怒鳴る、さらには書き記すのも憚られる虐待を繰り返す家族。

 

そんなの必要ありますか?

そんなのとの関わり合いを断つのは、「逃げる」ではなく「捨てる」なのです。接していてもメリットなど何もありません。人生を豊かにすることもなければ、未来に展望を築くこともありません。相手にするだけ時間の無駄なのです。

 

こう考えてみてはどうでしょうか。

相手は自分よりも格下なのだと。

格上である自分がわざわざ格下である相手のもとまで降りてあげて、接してあげて、相手にしてあげているだけでも感謝されるべきことなのに、格下の相手は感謝の言葉を掛けるどころかこちらを分不相応にも見下していると考えるとどうでしょうか。

格上として慈悲の心で接してあげてきたけれども、もうこれ以上相手にしてあげる必要も無くなったのだから、「捨てる」。

相手は「俺から逃げるのか」などと言うでしょうが、実際には「俺を捨てるのか」なのです。捨てられて困ることになった負け犬が放つ最後の遠吠えが「逃げるのか」なだけです。

そう考えれば、「逃げるのか」という言葉を無視して行動できるのではないでしょうか。

 

イヤなことは捨てましょう。逃げるのではなく、捨てましょう。