徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

おじいちゃんといっしょの23話と24話の間に7ヶ月のブランクがあったこと

本日ようやくおじいちゃんといっしょの第24話を公開できました。

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第23話の公開が去年の11月19日ですから、ちょうど7ヶ月のブランクがあったこととなります。マンガの公開としても「赤の本人」から5ヶ月以上のブランクがあります。

昨年11月19日公開

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昨年12月7日公開

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本年1月4日公開

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どうしてこうなってしまったのか?

 

一言で言うと平安時代叢書第十七集を書いていたからです。

平安時代叢書第十七集「平家物語の時代」は治承三年の政変から壇ノ浦の戦いに至るまでのこの国の5年半を描いた作品であり、1作品あたりだいたい20年から30年を記載する平安時代叢書の中では例外的に短い時代に焦点を絞った作品なのですが、書き記した文章量は過去16作+外伝2作のどれをも上回る数字になったのです。

平安時代叢書第十六集「平家起つ」は今年の5月31日に公開を終えて次回作は翌6月1日に公開することは決まっていました。決まっていたのですが「平家物語の時代」は書いても書いても書ききれない内容で、文字数で記すと58万9460文字、400字詰め原稿用紙の枚数でカウントすると1589枚という前代未聞の分量になってしまったのです。ちなみに、過去最高の分量であった平安時代叢書第十六集「平家起つ」は44万4067文字、400字詰め原稿用紙1207枚です。平家起つを書いている頃もとんでもない分量の作品になったと痛感していましたが、平家物語の時代は前作を軽々と越えて本人にも制御できない規模になってしまったのです。

前作を書き終えた直後から今年の6月1日の公開開始に間に合うように書き始めてきたものの、今年1月に「赤の本人」を公開した時点でこのままでは6月1日の公開開始に間に合わないことが予期され、ほぼ全ての空き時間を平安時代叢書の続編の作成に回すことにしました。これは自宅にいる時間だけではありません。通勤の往復時間もスマートフォンで文章を書き込み続け、通院で自宅を離れているときも待ち時間の全てを文章の書き込みの時間に回すという、書き終えてから一ヶ月も経ていないのによくもまあそんな無茶ができたものだと感嘆するしかないことをしていました。

 

そしてこれが想像もできないことだったのですが、平安時代叢書を書き終えた直後、想定ではおじいちゃんといっしょの第24話を描くつもりであったのですが、できませんでした。京子先生の平安時代講座やSE山城京一のP.F.ドラッカー講座が描けていたではないかと思うかも知れませんが、違うのです。いささめで公開しているマンガとおじいちゃんといっしょは違うのです。

京子先生の平安時代講座は平安時代叢書を書くときに調べたことを独立させてマンガに描く作品です。SE山城京一のP.F.ドラッカー講座はビジネスパーソンとして働いていることとMBA目指して学んでいることの中から独立して漫画に描く作品です。どちらも自分の日常の中からネタができあがる作品であり、平安時代叢書の執筆と並行して作ることができるマンガなのです。しかし、おじいちゃんといっしょは漫画を描くことに専念する環境を自分で作り出さないと生み出すことのできない作品なのです。

リハビリと称して5月の終わり頃から「4ページマンガ」という括りでTwitterに短編を頻繁に投稿したのは、自分の中にある創作モードを、平安時代叢書執筆モードからマンガ作成モードに切り替える作成モードに切り替える目的があったとも言えるでしょう。

あと、「4ページマンガ」を頻繁に投稿していた頃に両親の介護だなんだで病院や施設に呼び出されること2ヶ月間で7回というストレスの日々を過ごしていたことからの逃避の意味もあるでしょうが。