徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

腰痛について考えてみた

何度かネタにしているが、慢性的に腰痛を抱えている。

 

 

 

 

 

 

 

 

ameblo.jp

Twitterやブログでは笑いベースで書いてはいるが実際にはかなりつらいわけで、今日のこのタイミングもやはり腰痛に苦しんでいる。

この痛み、整形外科に行っても鎮痛成分のある湿布が処方されるだけで、速効治療というわけにはいかない。腰痛の症状について調べると内臓が原因とするものも散見されるが、それについても今のところ異常は見られない。現在の痛みの理由は筋肉に由来し、痛みを一瞬にして解消する方法など無い。時間を掛けてゆっくりと治していくしかないのである。

もし、私の今日の動きにぎこちなさが見られるとしたら、それは腰が原因である。

我慢と責任について考えてみた

今の住まいに引っ越す前、近所に頻繁に通っていた店があった。

およそ10年ぶりにその店に行ったら閉店していた。

不況のせいかと思っていたが、聞いたところそうではなかった。繁盛はしていたし、売上だって申し分なかったらしい。欠かせない店として近所では認識されていて、私が引っ越してからもリストラどころかむしろ人を募集するほどで、常に数十人の方々を雇っていたという。

その店が、突然に潰れた。

そして、その理由は店長にあった。

 

何があったのか?

店長が倒れた。

店長は以前から腰が痛いと言っていたようだが、腰痛などたいしたことないと考えて何事も無かったかのように出勤し店に立ち続けていた。それが失敗だった。

早い段階で病院に行けば治ったかもしれない。しかし、店長が病院に運ばれたときにはもう手遅れであった。どのような症状なのかは聞くことができなかったが、二度の全身麻酔手術を含む半年間の入院、そして、退院後も永遠に車椅子での生活というものは聞くことができた。

店長が入院していた半年、当初は残された人たちで、少ししてからは本社から別の店長が来て店の建て直しを図ったようであったが、その店は店長一人が支えているような店であった。その支えていた一人が居なくなった店がどのような運命を迎えたか? 結論だけを言うと閉店であるが、そこに至るまでは、混乱、混迷、生き残るための人員削減、残された者の絶望的というしかない奮闘(あるいは無駄な抵抗)が続いていた。

店の顧客も、店長がいなくなったことで以前のような店でなくなってしまっていたことを知り、店長が戻ってくるまでを見届けようとしていたようであるが、日に日に衰えていく店に耐えることはできなかった。

誰の目にも見える衰退を目の当たりにし、店は潰れた。

店で働いていた数十人がが迎えたのは、失業だった。それも、苦労に苦労を重ねた末に迎えた失業だった。

店の顧客が迎えたのは、店が無くなった生活だった。その店の便利さに慣れ親しんでいたところで迎えた突然の店の喪失だった。

この全てが、店長一人が倒れたことによって生じた出来事であった。

 

店長は無責任だったのか?

自分一人がいなくなったことで、多くの人の暮らしを不便にさせ、数十人を失業させた。この点だけを捉えれば店長は無責任だと言えてしまう。

しかし、店長は不真面目であったとは誰も言わない。常に店で働いていたことは近所の人であれば誰もが知っていることであったし、かつての従業員の誰もが自分たちに真剣に向かい合ってくれている頼れる上司と考えていた。誰よりも早く出勤し、誰よりも店に残っていた。ほとんど休むことなく働き続けていたと誰もが口を揃えた。

店長について責めるところがあるとすれば、腰痛を我慢して放置し続けていたことが挙げられる。それでも、店長が腰痛を放置せざるを得なくなっていた事情は誰もが理解している。何しろ店長無しで店が回らないのだ。店の誰もがそう思っていたし、他ならぬ店長自身もそのように自覚していた。

店長が腰痛を我慢していたことを見て、多くの人が真面目で責任感の強い人と感じたであろうし、店長自身もそのように思っていた。それが最低最悪の結果をもたらしたと知らずに。

 

店長は無責任だった!

自分一人がいなくなっただけで回らなくなる店を構築し、店の維持のために我慢を重ねなければならないという状況を作り上げたのは、無責任とするしかないのである。店長は数十人の雇用を守るべき立場であり、店が近所から欠かせない存在になっている。

自分が居なければ店が成り立たないというのは、自分が頼られているという実感を得ることならばできても、自分がいないと成り立たないという環境に安住し、自分がいなくても成り立つ環境を作り上げないのは無責任とするしかないのだ。

自分がいなくても成り立つような環境を作り上げるのは一朝一夕で出来ることではないが、腰痛を放置せずに病院に行って早期に治療することはすぐにできる話だ。それを我慢して放置していたことは無責任とするしかない。店長は言うであろう。たいしたことないと思っていたと。しかし、結果は既に判明している。自身は長期入院、店で働いていた人たちは失業、近所の人たちは店の無い不便な暮らし。このような結末になったと思わなかったとしても、自分がいなくなったら困る人がいるという現状を放置し、自身の腰痛を我慢することを美徳と考えるのは、責任ある姿ではなく、無責任な姿であると言わざるをえないのである。

 

責任のために必要なこと

責任と我慢が両立するという考えは捨てなければならない。責任のためには我慢を捨てなければならないし、我慢に堪え忍び続けたければ無責任であり続けるしかない。我慢している姿は美徳では無く無責任な姿であり、我慢を強要する社会は無責任を是とする社会にすることが必要である。

とは言え、日本国においてそれは簡単にできる話ではない。日本国というのは、本来なら相反する概念である我慢と責任とを密接につなげて考える社会であり、我慢を無責任ではなく美徳と扱う風潮がある。責任を遂行するためと考えて無責任でしかない我慢し続ける姿を褒め称えておきながら、我慢の末に取り返しの付かない結末を迎えても自己責任の一言で片付けるか、あるいは、自分ではない誰かの責任ということにして糾弾する社会である。

その一方で、本当に責任を遂行するために我慢しないで自己管理をしている人に対しては無責任といい、自己管理のおかげで何事も起こらないようにしている人に対し、何事も起こさなかったということで褒め称えることもしない社会でもある。よくて5段階評価の3、下手すれば2か1の評価をする。「がんばっていない」というのがその理由だ。

この社会環境が生みだしたのが店長、店員、そして近所の人たちに襲った悲劇の原因である。

変えなければならないのは個人の心のありようではなく、社会概念である。

 

所謂「子供向け」について考えてみる

Short+αで何度かドリフターズについて話題にしているし、ウルトラマン仮面ライダーについても何度か話題にしているし、アニメをよく観ることから、私を「いい年齢して子供向けのコンテンツに偏向している」と思われることもある。

たしかに一般的なイメージはそうだろう。さらに漫画家もやっているし、漫画を読むことが多いというのが加わると、所謂「子供向け」が加速する。

ところが、ここで言う「子供向け」とは何なのだろうか、と考える。簡単に捉えていい話であろうか? と。

 

8時だヨ!全員集合が好きで、ドリフのメンバーや番組のスタッフのインタビューなどを読むことも多いのだが、その中のどこにも、子供向けを狙って番組を作ったとは書いていない。多くの子供達が自分たちの作る番組を楽しみにしてくれていたことは知っていても、それは自分たちの笑いを求めていった結果であり、子供をメインターゲットとした番組を作ったわけではないのである。

これは、ウルトラマンを生みだした円谷プロダクションであったり、仮面ライダーを生みだした東映も同じで、多くの子供が視聴者になるであろうことは考えていても、最初から子供が観ることを主軸として番組を作ったわけではない。

 

バラエティ番組であったり、特撮ドラマやアニメーションであったり、そうした番組が多くの子供の支持を受けることはあっても、支持を受けるコンテンツは断じて、子供向けを考えて作ったコンテンツではない。

自分たちが信じて作り出したコンテンツに対し、多くの子供が支持をするというとき、それらのコンテンツには一つの共通点がある。

それは、本物、ということ。

 

ここでいう、「本物」とは何か?

「子供だまし」の反意語としてもいい。

「これでいいだろう」ではなく、「自信を持ってこのコンテンツを送り出す」という意識がそこにはある。

8時だヨ!全員集合は笑いにこだわった。

ウルトラマン仮面ライダーはドラマにこだわった。

歴史に名を残すアニメーションのその物語や作画や声や音楽にこだわってきた。

そこに妥協は無かった。

妥協を見せない本物だからこそ、多くの人が支持した。その支持する人たちの中には多くの子供達もいた。子供達だけがファンだったのでは無い。子供達もファンの一部を構成していたのだ。

 

子供向けと扱われているコンテンツに対して嫌悪感を見せる人、さらには我が子をこうしたコンテンツから離して育てようとする人は多いし、そういう教師もいる。そして、そうした者が考える「子供受けのコンテンツ」は、そのほとんどにおいて子供からの人気がない。皮肉にも、子供向けを謳っているのに、肝心の子供達からは拒否反応を示されるのである。

要は、つまらない。おもしろくない。

教育に良いとか、健やかに育つとか考えているのであれば、それは独り善がりの、無益どころか有害でしかない愚行とするしかない。

 

子供は大人が考えているほど愚かでは無い。子供向けを前提としたコンテンツを喜んで受け入れるとすれば、それは、コンテンツの面白さではなく、コンテンツを受け入れている姿を大人に見せつけるための、フリである。

 

子供に受け入れることを考えるのであれば、子供向けであることを全く考えず、自らがやりたいことを、本物と呼ぶに値するレベルのコンテンツとして形作ることが必要である。

 

 

8時だョ!全員集合の作り方―笑いを生み出すテレビ美術

8時だョ!全員集合の作り方―笑いを生み出すテレビ美術

 

 

ドリフ大爆笑と幻の番組について考えてみる

BSフジで再放送が始まったドリフ大爆笑の初回をご覧になった方の中には、オープニングが「ド、ド、ドリフの……」ではなく、月月火水木金金の替え歌である「よ~る~だ、八時~だ……」になっていたのに気づいた方は多いであろうが、実は、ドリフターズ出演の番組のうち、オープニング曲として月月火水木金金の替え歌を用いたのはドリフ大爆笑がはじめてではない。

ドリフターズの代表作とも言える8時だョ!全員集合は昭和44(1969)年10月から昭和60(1985)年9月までの16年に渡って放送された番組であるが、実はその途中、半年に渡って放送を休止している。何が起こったのか?

昭和46(1971)年4月から半年間、TBS系の土曜夜8時からはクレイジーキャッツ主演の「8時だョ!出発進行」という番組を放送していた。そして、ドリフターズはその間、日本テレビ系列日曜夜7時放送の「日曜日だョ!ドリフターズ!!」に出演しており、同番組のオープニング曲として月月火水木金金の替え歌を用いていたのである。

つまり、ドリフ大爆笑の初回放送のオープニングは日曜日だョ!ドリフターズ!!の復活でもあったのだ。

 

それにしても、TBSはなぜ、半年に渡って8時だョ!全員集合というドル箱を手放したのか?

日本テレビはなぜ、ドリフターズを半年で手放したのか?

事務所は何を考えていたのか?

 

8時だョ!全員集合はどのように生まれたか?

昭和46(1971)年当時は渡辺プロダクションの3大スターという呼び名が登場していた。

の3ユニットである。

ただし、この呼び名はドリフターズ8時だョ!全員集合で成功を収めてからであり、それまでのドリフターズは、クレイジーキャッツの次と目される存在ではあっても、対等に評される存在ではなかった。実際、TBSで昭和44(1969)年4月から毎週土曜夜8時にドリフターズ主演の公開生放送番組を始めるという企画が立ち上がったとき、「土曜夜8時というチャンネルの命運を掛けた時間の主演は、実績のまだないドリフターズではなく、実績申し分無しのクレイジーキャッツを主演とすべき」という意見が続出したほどである。

これに対して奮起を見せたのがドリフターズとTBSの若き番組スタッフたちである。若きスタッフ達はそれまでドリフターズとともに、ドリフターズドン!(昭和42(1967)年)、進め!ドリフターズ(昭和43(1968)年)を経て、突撃!ドリフターズ(昭和44(1969)年)といった30分番組を作り上げてきており、実績を残してきていた。そして、若きスタッフ達は野望を抱くようになっていた。土曜夜8時からの1時間番組を製作するという野望である。この時代のTBSはどの曜日もどの時間帯も視聴率争いで勝つことが多かったが、土曜夜8時に限ってはどのような番組を送り出してもことごとく視聴率争いで敗れ去っていた。土曜夜8時というのはTBSのスタッフにとって、目の上のたんこぶとも言うべき歯痒さを感じさせるシンボルだったのである。

それまでの全ての挑戦が失敗してきているという現状の前に、TBSの編成局は若きスタッフ達からの挙手に応えることとした。昭和44(1969)年時点の土曜夜8時はフジテレビ系の「コント55号の世界は笑う」が視聴率争いの王者として君臨しており、フジテレビを除く全ての局がいかにしてコント55号と重ならないように番組を作り上げるかに苦心していたのであるが、若きスタッフ達は、あえてコント55号と重なる客層に訴え出るという提案をした。同じ客層に対して、アドリブを活かしたコント55号の笑いに対向するために、ドリフターズの計算されつくした笑いをぶつけるという提案であった。

この抜擢はTBSに成功をもたらした。視聴率14%でスタートした番組は、週を重ねるごとに視聴率を上げていき、昭和45(1970)年初頭には視聴率で土曜夜8時の絶対王者であったコント55号の世界は笑うを追い抜き、昭和45(1970)年3月にはコント55号の世界は笑うを放送終了に追い込むまでに至ったのである。その後も視聴率の上昇は止まることを知らず、昭和46(1971)年時点で視聴率25%の番組へと成長していた。

8時だョ!全員集合の半年間中断まで

8時だョ!全員集合の成功は他のチャンネルにとって驚異であった。いかにして土曜夜8時の番組を作り上げるかに苦悩してきた各局は、TBSの成功を何とかして自局でも取り入れることができないかと苦悩するようになった。

そんな中、日本テレビ渡辺プロダクションに一つの申し入れをしてきた。

ドリフターズの番組を日本テレビでも放送したい」

この申し出はさすがに耳を疑うものであったが、日本テレビからの申し出は冗談ではなかった。毎週日曜夜7時にドリフターズ主演の1時間の公開生放送番組を放送したいのでスケジュールを抑えてほしいというのである。

クレージーキャッツの代表作であり、個人活動が多くなっていたクレージーキャッツにとって数少ないユニットとしての出演番組であるシャボン玉ホリデーを放送してきたのが日本テレビである。シャボン玉ホリデーの放送時間帯は日曜夜6時半からの30分。シャボン玉ホリデーの30分と、ドリフターズの新番組の1時間を合わせた90分のバラエティ時間帯とするのが日本テレビの構想であった。

渡辺プロダクションとしては釈然としない内容であったが、日本テレビの社長まで出てくるとなると事務所側も無視できるものではなくなる。

 

無視できるものではないと言っても、渡辺プロダクション日本テレビの要請に応えるには簡単ではなかった。

ドリフターズ主演の8時だョ!全員集合がここまで成功したのは、ドリフターズ8時だョ!全員集合以外の全ての仕事を断っており、一週間の全てを8時だョ!全員集合に振り分けたことで得た結果なのである。アイデアを練り、小道具をつくり、大道具をつくり、稽古を重ね、本番当日の生放送に備えるというのが8時だョ!全員集合の成功の理由であり、このスケジュールはドリフターズだけでなく、番組スタッフも、8時だョ!全員集合に出演するゲストも同様に課せられていた。

このスケジュールに新しいスケジュールをつぎ込むのは無謀とするしか無かった。ドリフターズ主演の映画の撮影や、ドリフターズの曲のレコーディングをしているではないかという反論はあったが、それとて8時だョ!全員集合の稽古の空き時間を見つけてのスケジュールの詰め込みであり、ドリフターズは既に限界に達していたのである。

ここで日本テレビの要望に応えるには、ドリフターズ8時だョ!全員集合から切り離さなければならない。そして、ドリフターズのいなくなった8時だョ!全員集合の穴を埋めるにはドリフターズに匹敵するユニットを用意しなければならない。そんなユニットは無い。

ただ一つを除いて。

そのただ一つの例外がクレイジーキャッツであった。それも、クレイジーキャッツの全員に対し、それまでのドリフターズのスケジュールの制限を設けなければした上での話である。

日本テレビの社長まで登場してきた要請に対する渡辺プロダクションからの回答は、

というものであった。

日本テレビ渡辺プロダクションの要望を全て受け入れた。

 

TBSはなぜドル箱を手放したのか

8時だョ!全員集合の成功を手放しで喜んでいたところで浴びせられた突然の知らせにTBSは驚愕した。特に、8時だョ!全員集合のスタッフたちは自分たちの作り上げてきた番組がこのような形で奪われることに我慢ならず、プロデューサーは辞表を提出する直前まで至っていた。

その思いを留まらせたのは、スタッフの誇りであった。

いかに日本テレビが総力を尽くしたところで、ドリフターズを用意しただけでは8時だョ!全員集合にはならない。8時だョ!全員集合を作れるのは自分たちが欠かせないという誇りが思いを留まらせたのである。

さらに、ドリフターズの穴埋めとしてやってくるのがクレージーキャッツ。彼らも事情を熟知しており、ドリフターズの面々と接していたのと全く同じように接するように求めたことは若きスタッフ達を感動させた。それまで雲の上の存在と考えていたクレージーキャッツが全員揃ってドリフターズと同じようにアイデアを練り、小道具も大道具も用意し、稽古に励むのである。

純粋にビジネスだけで考えたとしても、ドリフターズ不在は痛いが、クレージーキャッツ独占は TBSの利益になる話であった。視聴率は充分に計算できる話である上に、スポンサーとの契約継続も可能であったのである。それに、話を持ちかけてきたのは日本テレビ渡辺プロダクションであって、TBSにとっては寝耳に水の話であるというのは全国に広まっている話である。同情を買う案件でこそあれ、非難を買う案件では無かった。

 

日本テレビの失敗

あの8時だョ!全員集合日本テレビにやってくる。しかも、クレージーキャッツ主演のシャボン玉ホリデーとセットとなって1時間30分のバラエティタイムをつくるということで、新番組「日曜日だョ!ドリフターズ!!」については大々的な宣伝が行われたが、世間からの評判は芳しいものではなかった。苦労して作り上げた8時だョ!全員集合を奪ったという見方をされていたのである。

それでも日本テレビの番組スタッフ達は懸命に応えたとするしか無い。ただ、ここには大きな落とし穴があった。

予算だ。

ドリフターズ8時だョ!全員集合で展開してきた笑いを他局で再現するためには、8時だョ!全員集合に掛けてきたのと同等、さらにはそれ以上の予算を用意しなければセットも作れないし、曲も用意できない。おまけに、8時だョ!全員集合のセットはスタッフ個人の技術力に拠っているところが多く、いかに日本テレビの番組スタッフが尽力してもどうにかなるものではない。

技術力の不足を予算で補った結果、日本テレビが日曜日だョ!ドリフターズ!!のために用意した予算は簡単に底をついてしまった。日本テレビの幹部は「こんなに金の掛かる番組なんかさっさとTBSに返してしまえ」と怒鳴ったというが後の祭りである。

ここに、クレージーキャッツが8時だョ!出発進行に専念するために他の仕事を断ったことに対する損失補填が加わる。それも踏まえた予算は前もって計上していたが、その事前計上は簡単に使い果たした。

日本テレビは各番組に予算削減を命じることとなった。それは、クレージーキャッツ主演のシャボン玉ホリデーも例外ではなく、クレージーキャッツ全員での出演ではなくクレージーキャッツの誰か一人が出演しているかどうかという番組に変貌した。

 

渡辺プロダクションの失敗

さて、ここまでの経緯をドリフターズ自身はどのように眺めていたのか?

一言で言うと、不信感、である。

ビジネスを考えてのことであると頭では理解しても、事務所とテレビ局の都合で自分たちがモノのように扱われてやりとりされることには納得いかなかったのである。それでも、事務所の先輩であるクレージーキャッツが奮闘してくれており、TBSのプロデューサーが辞表覚悟に局に掛け合ってくれた上に、自分たちがいない間も番組の質を維持してくれたことは感謝していた。

ただ、事務所に対する不信感はぬぐいきれるものではなかった。

結果、ドリフターズをはじめとする渡辺プロダクション所属の芸能人たちが何組か渡辺プロダクションから離脱し、のちのイザワオフィスを作り出すきっかけとなった。

 

さらに、「日曜日だョ!ドリフターズ!!」の失敗に加え、渡辺プロダクション製作の歌番組と日本テレビ製作の歌番組の時間が重なったこともあって、渡辺プロダクションに所属する芸能人が日本テレビ系列の番組に出演できなくなるまでになった。これはクレージーキャッツも例外ではなく、代表作であるシャボン玉ホリデーは昭和47(1972)年に最終回を迎えるに至った。

この時代、芸能人の半数が渡辺プロダクションに所属していたと言われ、渡辺プロダクションに頼らない番組作成は不可能であるとまで言われていた。その不可能とまで言われていた渡辺プロダクション無しでの番組製作が必要となった日本テレビは、渡辺プロダクションに頼らない番組製作を最終目的として、芸能人発掘番組である「スター誕生」を、「日曜日だョ!ドリフターズ!!」終了直後である昭和46(1971)年10月に開始させた。

また、渡辺プロダクション日本テレビとの対立をきっかけとし、渡辺プロダクションからジャニーズ事務所が名実ともに独立した。もともとジャニーズ事務所渡辺プロダクションの系列会社であったのだが、フォーリーブス郷ひろみといったスターの誕生に伴って独立色を強めてきていた。それでも、渡辺プロダクションに所属する芸能人の番組に出演をさせてもらう形での協力関係は維持していたのであるが、日本テレビとの決別まで話が至った渡辺プロダクションと同調せず、日本テレビとの協力関係は維持するべきとしたジャニーズ事務所は、このタイミングで渡辺プロダクションから名実ともに独立した。

 

ドリフ大爆笑の誕生

 

昭和46(1971)年10月、8時だョ!全員集合が復活。

中断前、視聴率25%で大騒ぎされていた8時だョ!全員集合であるが、復活後の8時だョ!全員集合の視聴率は25%どころの話ではなかった。昭和48(1973)年には視聴率50%を突破し、その後もコンスタントに視聴率40%台を叩き出すお化け番組へと成長したのである。

通常、年末年始となると特番が組まれるものであるが、特番よりも視聴率がとれるということで1月1日であろうと8時だョ!全員集合はそのまま放送されただけでなく、裏番組が8時だョ!全員集合であるという理由で、毎年1月1日に放送している番組を、1月2日に変更することも珍しくなくなった。

ただ、それだけの視聴率を稼ぐスターへと成長したドリフターズであるが、テレビ出演は極めて少なかった。前述の通り、8時だョ!全員集合に全てをつぎ込んではじめてこれだけの視聴率の番組が成立するという仕組みであるため、他の番組に出演するスケジュールが確保できなかったのである。

無茶を承知でスケジュールを突っ込むのは不可能であるというのは日本テレビが証明しており、誰もが、TBSが手放すまでドリフターズの番組を作ることは不可能であると諦めていた。

このとき、フジテレビが全く想定していなかった方法でドリフターズの番組を作ることに成功した。

まず、番組製作は渡辺プロダクションから独立したイザワオフィスが担当する。フジテレビで放送する番組ではあるが、テレビ局では無く芸能事務所の作成する番組であるため、他局の社員であるTBSの番組スタッフの協力を得ることが可能である。

さらに、番組製作会議にドリフターズはいっさい関与しない。台本も完成し、リハーサルも完了し、セット作成も全て終えた後からの時間だけをドリフターズのスケジュールとして確保するのである。

 

この番組はただ一つだけ、「日曜日だョ!ドリフターズ!!」から継承したものがあった。

オープニングである。

「日曜日だョ!ドリフターズ!!」のオープニングは月月火水木金金の替え歌である「よ~る~だ、七時~だ……」となっていたのを「よ~る~だ、八時~だ……」に変えたものであった。

もっとも、このオープニングは昭和52(1977)年限定であった。ドリフターズの五人は「ドリフ大爆笑 ’77」と昭和52(1977)年限定であることを示す法被を着て撮影しており、翌年には撮影し直しであることが宿命づけられていたのである。実際、昭和53(1978)年以降毎年のようにドリフ大爆笑はオープニングを変えていた。

もっともおなじみのあのオープニングに固定されたのは昭和58(1983)年のことである。

youtu.be

 

安室奈美恵氏の引退報道を契機として根の深い問題について考えてみる

安室奈美恵氏の引退を決めることができるのは、安室奈美恵氏本人だけ。

今回の安室奈美恵氏だけでなく、多くの人が「まだできるのに」と残念がる中で第一線から退くことは珍しくない。それがプロの世界の宿命とも言える。安室氏が引退を決断した理由は知る由もないが、想像するに、歌手としての安室奈美恵であり続けることができなくなったからというところではないであろうか。

プロスポーツの世界では毎年のように現役選手が引退をするし、音楽の世界でも、将棋の世界でも、新人が登場するのと入れ替わるように引退する者が現れる。決意をしての引退であることもあるし、契約できなくなったがために引退を選ばざるを得ない状況に追い込まれることもある。

そして、多くの人がこう考える。残酷な世界だと。

 

だが、本当の残酷はこれから先の私の記載である。

安室奈美恵氏の引退というニュースのインパクトが大きいがために引退を特別なことと考えてしまいがちであるが、引退というのは、全ての働く人に課せられている宿命であることを忘れてはならない。自分よりも優れた者が出現して立場を失うこともあれば、身につけていたスキルが時代遅れとなったがために第一線から退かざるをえなくなることもある。その職を成すことで生活していた者がその職を成せなくなるというのは、全ての働く人に訪れる宿命であるとしてもよく、もし、その職を成しているまま命を終えることがあるとすれば、それは長い現役時代を意味するのではなく若くして命を落とすことを意味するほどなのである。

ここまでは人類誕生から現在まで続いている普遍の現象であるが、問題は、人類がその寿命を長く延ばしてきたということ。かつては定年退職を迎える前に亡くなる人のほうが多かったが、今は定年退職を迎えてから20年は生きることも珍しくなくなったのだ。

そこでこのような問題が出てくる。

定年退職を迎えてから、すなわち、職を成すことで生活をしていた日々が終わりを迎えてから、死を迎えるまでの20年、30年、さらには40年をどう生きるかという問題である。年金があるからどうにかなるとか、貯金があるからどうにかなるとか考えるのは、残酷な話であるが、甘い。年金支給開始年齢はこれから先後ろ倒しになることは目に見えているし、貯金があったとしても年金支給開始年齢を充足できる可能性は低い。

かといって、寿命が延びたのに合わせるように定年退職が長く伸びることは期待できない。経営サイドからすれば、いかにベテランであると言っても、人件費が限られているならベテランよりも若い者を選ぶ。ベテランと若手と同じ能力で同じ給与だとしたらという条件のときに限らず、ベテランのほうが能力が高くてもこれからの企業経営を考えたら若手を選ぶというのはおかしな話ではない。現時点で誰かに雇われて働いて給与を得ている人は、定年延長が数年あったとしても、年金支給開始までのブランクが生じることを覚悟しなければならないのである。

引退したあとの生き甲斐について危惧するよりも先に、引退したあとの生き方、それもどうやって食料を、どうやって衣料を手にし、どうやって家賃を、どうやって医療費を捻出するかという切実な生活問題を考えなければならない。

 

安室奈美恵氏が明日の生活に困るということは考えづらい。しかし、多くの者はある日突然職業を失い、年金を得られず、職に就くこともできず食を得る方法も失われるときが来ることを考えなければならない。

来るかもしれないそのときに備えて何をしておくべきか?

二つある。

一つは肩書きに頼らない技術力を身につけておくこと。「探さなければ職はいくらでもある」という考えは捨てた方が良い。今いる会社で何をしているかなどというのは転職市場において何の役に立たない.むしろ邪魔になる。課長であった、部長であった、取締役であったというのは、過去の自分についての自慢のネタになってもその人を雇いたいと思わせるものではない。扱えるコンピュータ言語が何であるか、あるいは、英語の他に自由自在に扱える外国語として何があるかといった、肩書きに頼らないはっきりと見えた技術力があるならば次の職を探しやすくなる。

二つ目は人のつながりを持つこと。職場以外につながりの無い人は、職場を失った後で待っているのは孤独である。孤独に陥っている人に待っているのは、次の生きる手段ではなく、生きていくときの支えとなる人がいないという現実である。

以上を踏まえると、暗い現実が見えてしまう。

社畜と評されながら仕事に人生を捧げた独身の中年は老年になったらどうなるだろうか?

職業を失い、人のつながりを失い、家族との連絡も取れず、とれたとしても家族は故人となっていたとしたら、その人はどうなってしまうのだろうか。

 

そして、前述の「その人」の中には私も含まれている。

 

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

LIFE SHIFT(ライフ・シフト)

 

 

1時間2980円について考えてみる

最近、1時間2980円のマッサージ店が増えてきている。

肩こりであったり、腰の張りであったりと、身体の疲れを癒やしてくれるマッサージ店自体は以前から存在していたが、その値段が目に見えて下がってきているのだ。

 

安くなることは消費者としてありがたいことと思うかもしれないが、ここにはきわめて大きな問題がある。

その料金設定で従業員にまともな給与が支払われるのか、という点である。

 

TKCの調査によると、マッサージ店の人件費は売上の54.4%である。マッサージというのは1人の施術師が1人の顧客と応対するため、1人あたり1時間2980円というのは、施術師の1時間あたりの売上が2980円ということである。その54.4%が人件費ということは、時給にすると1621円。アルバイトの時給と比べると高いと思うかもしれないが、年収で考えると324万円である。

仮に年2回のボーナスがあったとしても年収が400万円を越えることは難しい。

 

ところが、実際に1時間2980円の店の人材募集要項を見てみるとこうなっている。

平日/10:00~20:59・・・・(60分)1800円~
平日/21:00~23:59・・・・(60分)2000円~
平日土日祝24時以降・・・(60分)2200円~
指名料・・・・・・・・・・200円

 

recruit.hogushiya-ikoi.com

 

いったいどういうことなのか?

 

そこで調べてみたところ、面白い事実が出てきた。

 

まず、先に人件費率が54.4%であると示したが、では、残る45.6%は何なのか?

通常の事業では、売上から原価を引き、家賃や設備の維持費、さらには広告費といった販管費(販売費及び一般管理費)を引き、人件費を引いて残った利益(営業利益)が業界平均の数値を出さないと話にならない。マッサージ店におけるその水準は5%であり、マッサージ店は5%の利益率を維持できるか否かが事業継続可否の分かれ目となっている。

1時間2980円で上記の時給を出した上で5%の営業利益を出すとなると、1800円だと34.6%、2000円では27.89%、2200円では21.17%が原価と販管費に回せる金額となる。

 

これで原価を販管費を出せるのだろうか?

 

結論から言うと、出せる。前述の人件費を出したままで営業利益5%は捻出可能なのだ。

 

マッサージ店の原価はさほど高いものではない。消耗品としてはマッサージ時に使用するオイル程度で、タオルや着替えは洗濯で再利用可能、ベッド等の設備も原価と言うよりは設備費である。初期投資費用は要するが原価とするほどではない。ゆえに、原価を抑えることでの販売価格抑制は不可能である。

だが、販管費に目を向けるとどうか?

家賃や光熱費を抑えることは可能なのだ。

店を大きくした上に郊外に店舗を構えた上で従業員を増やすと、従業員一人あたりの販管費を減らすことが可能となる。

 

とは言え、1日8時間、週40時間労働の全てを時給2200円で計算しても年収は440万円である。これは時給2200円の年2000時間勤務で計算した数値であり、実際の年収はもっと低くなる。

これで従業員をつなぎ止めることが出来るであろうか? 最低賃金よりははるかに高い給与であるとは言え、給与所得者の平均給与水準よりは低いのである。

 

ビジネスモデルとして成立させるため、1時間2980円の店はそもそも従業員をつなぎ止めるという概念を捨てている。1時間2980円の店で働く際に、従業員として契約するのではなく、業務委託契約をするのである。店は店舗の設備を貸し出し、料金の徴収を代行して、手数料を取った余りを施術師に支払っているのである。

この形態にすると、従業員を社員とさせないことによる店側の負担を減らすことが可能となる一方、従業員にとっては正社員としての安定を獲得できない上に、年金は国民年金、保険は国民保険となる。現在の労働状況の悪化の一環としてよく見られる光景である。ただし、正社員ではなく業務委託形態であるために、正社員に求められる時間の制約は多少であるが猶予がある。

 

私はここに一つのチャンスを見る。

従業員として、子育て中であるためにフルタイムの仕事ができない人と業務委託契約を結んだらどうなるか、あるいは、無年金高齢者と業務委託契約を結んだらどうなるか、と。

子育てに追われるために8時間労働が困難な人に対し、子を保育園に預けている間の勤務契約を結んだらどうなるか? 欲を言えば、店に保育園や託児所が併設されていたらどうなるか?

あるいは、年金を納めたくても納めることができなかったがために無年金のまま定年を迎えてしまった高齢者と、施術師として業務委託契約を結んだらどうなるであろうか?

さらに言えば、年金支給開始年齢が遅れることは目に見えている。定年年齢が70歳、75歳と上がったとしても、定年を迎えてから年金を受け取るまでの帰還の空白が存在する可能性は高い。このときの職業の一環としてマッサージ店の施術師というのは選択肢の一つとして認められるのではないであろうか?

 

1時間2980円の店は、安いマッサージを提供するビジネスモデルである。と同時に、行政が介入することによって、働きたくても働くことのできない人に対する働く場を提供する場所へと変化させることができるのではないか?

 

いわゆる「お上」について考えてみる

権力者を「お上(おかみ)」と考え、権力に対する抵抗をレーゾンデートルとする人たちがいる。第四の権力と見なされる人たちだ。

愚かな権力者が圧政を敷いているのが現在社会であるというモデルを示し、圧政を敷く「お上」に対決する正義の自分という姿に自らのアイデンティティを置いている彼らは、自分のことを庶民の代弁者であると考え、庶民は自分の後ろに付き従う存在と捉えている。庶民はすべからく「お上」に抵抗すべき存在であると考え、「お上」に従う庶民を愚鈍な存在と見なし、そうした庶民に対する啓蒙が自らに課せられた役割であると考えている。

 

情報化社会が誕生する前まで、この第四の権力は絶大なものがあった。三権を覆すこともあったのだ。

この第四の権力に対し、情報化社会が第五の権力を生み出した。まさに第四の権力が啓蒙の対象と見ていた庶民が、情報化社会の到来によって第五の権力の所有者となり、権力の監視を前提とするメディアが逆に監視の対象となり、権力の嘲笑を前提とする風刺は、風刺者自身の嘲笑を生み出すにいたった。

 

かつては、第四の権力は庶民の側に立ったエリートであるという認識があった。だが、第五の権力を手にした多くの人は、その認識が誤りであると気づいた。第四の権力はエリートではなくノーメンクラトゥーラだったと気づいたのだ。

 

啓蒙の対象と第四の権力が考える庶民という存在は、第四の権力が考えているほど愚かではなく、それぞれに異なる考えを持つ存在である。第四の権力に身を置いている人にとっては認めたくないことであろうが、知性も、教養も、一般常識も、第四の権力が第五の権力を圧倒しているわけではない。むしろ上回っている。

第四の権力の提供するコンテンツである、新聞、雑誌、ラジオ、テレビの全てで、コンテンツ受容者の数、定期購読者数であったり、販売部数であったり、テレビ視聴率であったりといったコンテンツ受容者の数が減ってきているのも、第四の権力の提供するコンテンツが第五の権力である庶民の知的欲求を満たす存在に至っていないからである。

下品とか、くだらないとかの声が直接第四の権力に届けられるならまだマシで、第四の権力のもとに何の声も届かないまま、庶民が第四の権力から離れている。現在進行形で離れていっている。これが現在起こっていることである。

 

「お上」に逆らうことにレーゾンデートルを感じている人にとっては認めたくないことかもしれないが、第四の権力こそが今や「お上」になっている。第五の権力にとっては、三権よりも、第四の権力のほうが目障りな「お上」であり、「お上」に従って行動する愚鈍な存在は第四の権力、そして、その第四の権力に従う側のほうになっている。

第四の権力にある人は言うであろう。「権力者に抵抗しよう」と。

第五の権力にある人は言う。「その抵抗すべき権力とは第四の権力のほうである」と。

 

第五の権力---Googleには見えている未来

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