徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

アニメーションの収益構造改善について考えてみる

現在のアニメーション製作環境はきわめて厳しい。アニメーターの給与は低く拘束時間も長い。しかし、それはアニメーション製作会社が暴利をむさぼっているからではない。アニメーション製作会社の収益そのものが少ないからである。

アニメーションを作成することでいかに儲けるか? 全てはこの点に行き着く。

アニメーションそのものにいかにスポンサーを付けるだけでなく、また、アニメーションのDVDやブルーレイを販売するだけでなく、アニメーションにおける新しいビジネスモデルを構築できるならば、現在のアニメーション製作が抱えている問題をいくらかは解消できるのではないかと考える。

 

アニメーションと3D

マンガ作成ソフトのコミPo!というのを御存知であろうか? 絵を描けなくても漫画を作成できるというコンピュータソフトであるが、このソフトの根幹となるアイデアは以下の通りである。

  • キャラクターは3Dモデルである。任意の服装、任意のポーズ、任意の表情を自由に選択できる。モデルの縮小拡大、視点の変更も自由。さらに、一度作成した3Dモデルは再利用可能。
  • キャラクターは3Dであるが、背景や持ち物は2Dと3Dの双方が利用可能である。たとえば教室、たとえばオフィスフロア、あるいは屋外のグラウンドといった背景や、キャラクターの持つアイテム、たとえば傘、たとえばスマートフォン、たとえばバッグといったモノを3Dとすることで、背景やモノを思いの通りに設定できるし、2Dでもコマ上の任意の場所に自由に設定できるようになっている。

つまり、キャラクター、モノ、背景を全てコンピュータを用いて作成し、マンガを描くのではなく部品をコンピュータ画面上に配置することで、マンガを描くことができない人や、絵を描くのが苦手であるという人であってもマンガを作成できるようにしているだけでなく、短い作成時間でマンガを作成できるようになっている。

短い作成時間でマンガを作成できるということは、アニメーションを画の連続として捉えた場合、アニメーションを短時間で作成できるようになることを意味する。たとえば下のGIFファイルはコミPo!で30分で作成したものである。使用したのは女性のキャラクター1点、屋上から校庭を眺める背景素材1体の計2点の3Dのみであり、その2つの3Dの視点を変えたり、拡大縮小させたりしただけで以下のGIFファイルができあがる。

f:id:tokunagi-reiki:20190106214047g:plain

コミPo!で作成したアニメーションのサンプル

これをアニメーション作成に応用することは可能である。

まず、キャラクター、背景、小物を全てコンピュータ上で3Dで作成する。

次に、作画は可能な限り3Dの配置とし、3Dの配置で不可能な部分についてのみ現行の2Dとする。2Dはコンピュータに限る必要は無い。

これにより作画時間が短縮できると同時に、絵画が苦手であるという人でも動画作成に携わることが可能になり、動画作成担当者の雇用の幅が広がる。また、コンピュータ上での作成であるならば、場所は東京である必要はない。ネットがつながる環境であればどこでも可能である。コンピュータ上で画を作成してネットでアニメーション製作会社に送信するという仕組みもできる。

これを延長すると、病気やケガなどの理由で外出が困難である人でも就業可能な職業とすることが可能となる。社会福祉の観点で捉えることも可能となれば国からの補助金も期待できる。

さらに、3Dで作成した素材はアニメーション製作会社が販売できる素材となる。たとえば同人作品や漫画、さらには他のアニメーションにも転用可能という前提でキャラクターや背景素材を販売することで収益を得られることとなる。たとえばキャラクター1人200円、背景素材1つ200円とした場合でも、1000人買えば40万円の収益となる。

また、3Dで作成したキャラクターを3Dフィギュアやプラモデルに加工して販売することも容易になる。作品中に登場するロボット等のメカだけでなく、キャラクターが使用しているのと同じ食器やアクセサリーを3Dプリンタで出力して販売するというビジネスモデルも可能となろう。

転用時に問題となるのは著作権であるが、これは3D素材の取引にブロックチェーン技術を導入することで解決できる。もっとも、ビットコインブロックチェーンは1MBであるが、を使用しているが、現実問題としてブロックチェーンのファイルサイズの1MBは小さすぎる。もっと大きくすべきであろう。

アニメーションを3Dにするのとは逆のパターンも可能となる。漫画のアニメ化において漫画のキャラクターや背景が3Dで作成されているならば、そのままアニメに転用することが可能となる。漫画とアニメとで顔が違うとか背景が違うとかが無くなる。メディアミックスという観点において、このメリットは大きい。

 

アニメーションとネット配信

アニメーションのネット配信が増えてくると、アニメーション中にCMを挟み込むことは難しくなるが、その一方でアニメーション関連商品を売る機会は増える。その回に登場したキャラクターの3D素材、あるいは、その回に登場した建物の3D素材をネット配信されたアニメーションからクリック1回で買えるという仕組みも構築できる。

買えるのは3D素材だけではない。アニメーションに登場した食器やアクセサリーの3Dプリンタ出力の販売を前述したが、その現物を販売することも可能だ。通販会社と手を組むことで、作品中に登場した服やアクセサリーの販売サイトに1クリックに飛ぶことも可能となる。アニメーションのキャラクターがプリントされたシャツではなく、キャラクターが着ていたのと同じシャツというのは需要がある。その需要に1クリックで応えることのできるリンクを組み込むことは可能である。

ネット配信となればオープニングソングやエンディングソングのダウンロード販売サイトにつなげることも容易になる。この場合、音楽配信サイトとのスポンサード契約締結が前提となるが、無条件の了承とはならなくともさほど難しい話ではなくなるであろう。

また、ネット配信はこれまでアニメーション製作会社が作成した作品の再公開を容易にさせる。再放送やDVD化ができないでいる作品を広告つきでYoutubeをはじめとする動画配信サイトに載せることは難しい話ではない。もとからしてオープニングと本編開始前、本編中、本編終了後とエンディング、あるいは次週予告までの間にCMが入ることが前提となって作成された作品である。動画の途中にCMが入ったとしても作品に違和感を生じさせることはない。

 

アニメーションの今後

日本のアニメーションという括りがどこまで存続し続けるか不明である。少なくとも、ジャパニメーションがこれまでのように世界で席巻するような時代は期待できない。ジャパニメーションを見て育った人達が、現在の日本のアニメーション製作の抱えている問題をクリアした状態で作品を作り全世界に向けて公開するであろう。

この時代を迎えたあとでも日本のアニメーション製作会社が生き残るためには、現状を続けるのではなく、時代に即した収益モデルを構築していく必要がある。

平成30年12月9日の天皇杯決勝を振り返ってみて

平成30年12月9日18時、天皇杯 JFA 第98回全日本サッカー選手権大会決勝が埼玉スタジアムで始まった。

すでに各所で取り上げられているが、今回の決勝戦天皇杯としては異例なことが重なった。

まず、AFCアジアカップ2019が来年1月5日にUAEで始まることは以前から決まっていた。既に第94回大会(平成26(2014)年)が、翌年1月9日に開会されるAFCアジアカップ2015に合わせて、決勝戦の日程を翌年1月1日ではなく12月13日に変更したという実績がある。そのため、決勝戦を翌年1月1日ではなく12月中に開催することはかなり早い段階で決まっていた。

また、通常であれば国立競技場が決勝戦の会場であるが、東京オリンピックにあわせた改築工事で使用できないため、決勝戦の会場を各都道府県のサッカー協会から募っていた。

国立競技場改築工事期間中の決勝戦会場は、過去4大会、各都道府県サッカー協会の推薦をもとに以下の通りと決まっていた。

第94回大会:日産スタジアム(72,327人:神奈川県サッカー協会)
第95回大会:味の素スタジアム(49,970人:東京都サッカー協会)
第96回大会:市立吹田サッカースタジアム(39,694人:大阪府サッカー協会)
第97回大会・埼玉スタジアム(63,700人:埼玉県サッカー協会)

第98回大会は第97回大会に引き続き、埼玉県サッカー協会の推薦した埼玉スタジアム2○○2が決勝戦の会場と決まった。この時点で準決勝の開催は12月16日、決勝戦の開催予定は12月24日であった。

このままであれば問題は無かったのだが、日本サッカー協会は見落としがあった。

アジアチャンピオンズリーグを制覇したクラブが準決勝以上に進出した場合、天皇杯の準決勝と決勝の日程が、FIFAクラブワールドカップの日程(12月12日開幕、12月22日決勝)と重複するのである。

その危惧は、鹿島アントラーズアジアチャンピオンズリーグを制覇したことで現実なものとなった。鹿島アントラーズ天皇杯準決勝にも進出しているため、天皇杯準決勝を12月5日、天皇杯決勝を12月9日に変更することとなったのである。

 

ところが、12月9日はさいたま国際マラソンの開催日であった。しかも、マラソンコースには埼玉スタジアムが含まれていた。

この結果、シャトルバスでの埼玉スタジアムへの移動が完全に止まった。埼玉スタジアムでサッカーの試合を開催するとき、通常であれば、JR浦和駅、JR北浦和駅、JR東浦和駅東武岩槻駅東武北越谷駅から埼玉スタジアムまでのシャトルバスが走っているのだが、その全てがマラソンの影響で運転中止。公共交通機関埼玉スタジアムに行くには埼玉高速鉄道浦和美園駅に行き、そこから徒歩で埼玉スタジアムに行くしか無くなった。

埼玉高速鉄道の混雑はある程度想像つく話であるが、浦和駅から鉄道だけで浦和美園駅までに行くには、浦和駅から南浦和駅までJR京浜東北線南浦和駅から東川口駅までJR武蔵野線東川口駅から浦和美園駅まで埼玉高速鉄道となる。この、JR京浜東北線、JR武蔵野線の両路線も大混雑となった。

 

天皇杯Jリーグカップ(現在はルヴァンカップ、かつてはナビスコカップ)の決勝戦は中立地開催である。たしかに今回は埼玉スタジアムを本拠地とする浦和レッズが決勝戦に臨んだが、だからといって特別扱いは無い。観客の入場開始は試合開始の三時間前。浦和レッズJリーグの本拠地として使用するとき、ビジュアルサポートのために入場開始前の準備が認められることもあるが、それはいっさい無い。

たとえば、試合開始前に私が「3Dだよ、おい!」と叫んだこれも、

 入場開始後から試合開始までの3時間で準備を終えたものである。

しかも、機械ではなく携帯電話でタイミングを計った上での人力である。

 

 たしかに埼玉スタジアムの構造をサポーターが知り尽くしているというのもあるが、レッズサポーターが何かしらの便宜を図ってもらったというわけではない。

 

今回の決勝戦の会場が埼玉スタジアムであることに対し、中立地での開催ではないという意見もあるし、理論上が中立地であっても現実は中立地ではなかったという意見もあるが、実際にスタジアムに足を運んだ人は、そこまで浦和レッズが優遇されていたとか特別な配慮が施されていたとかは感じないであろう。

この写真だけではわからないかもしれないが、ベガルタ仙台サポーターからはかなりの迫力とかなりの声量が埼玉スタジアムに届いていた。

たしかに場所は埼玉県であったし、試合会場も浦和レッズが普段から使用している埼玉スタジアムであった。ただ、南側ゴール裏はベガルタ仙台サポーターが埋め尽くし、指定席もベガルタ仙台サポーターが数多く詰めかけていた。

私の投稿での映像から想像つくと思うが、私が座った場所は指定席の中でも南側である。天皇杯決勝やJリーグカップ決勝の指定席は、浦和レッズJリーグACLでの試合と違い、浦和レッズサポーターもベガルタ仙台サポーターも双方とも購入可能であるとはなっているものの、通例であれば、やはり浦和レッズサポータのほうが多いものである。これまでJリーグカップ天皇杯決勝で同様の席に座ったことがあるが、浦和レッズ側のゴール裏から遠い席であっても、周囲を見渡せば浦和レッズサポーターばかりというのがいつもの光景であった。

ところが、今回の天皇杯決勝はベガルタ仙台サポーターがかなり多かった。はっきり言えばベガルタ仙台サポーターの黄色に囲まれていた。

 

スタジアムが完全に真っ二つに分かれていて、交通の便で見ても両クラブのサポーターが公平であるというのは中立地開催として最高の条件かもしれないが、現実にそれは難しい。しかし、日曜日のベガルタ仙台サポーターはハンデを背負いながら可能な限り中立地開催に近い雰囲気を作り上げていたし、浦和レッズサポーターはホームをホームとして使用できない制約が課されながら可能な限りホームの雰囲気を作り上げていた。

両クラブのサポーターがそれぞれに課された制約の中で最大限のサポートをした結果は素晴らしいの一言だったと言えるのではなかろうか。

失敗からの克服について考えてみた

人間は誰しも失敗するものです。失敗しないということは存在し得ず、仮に失敗が存在しないとすれば、それは失敗しないのではなく失敗を隠していることに成功しているだけなのです。

失敗は損失を生むだけでなく、人生を破滅に導き、ときに命に関わる問題を引き起こします。だからこそ失敗は恐れるべき存在なのですが、どのようにすれば失敗を未然に防ぎ、失敗を克服できるのでしょうか?

 

その答えは一様ではありません。しかし、ある程度のパターンは見られます。

少なくとも、失敗からの克服をする仕組みは以下のパターンを包括しています。

 

1.失敗した当事者に関わらせない

失敗した当事者に対して「なぜ失敗したのか」などと問い合わせるのはメリットが全くありませんが、これはよく見られます。最悪なパターンとなると、失敗した当事者を会議に呼び出して質問攻めにし、書面にして書き起こすよう命じることがあります。

なぜ失敗した当事者を追い詰め、さらに仕事を増やさせるのでしょうか? 失敗した理由は様々なれど、失敗した人に共通していることが一つだけあります。それは、失敗した人に余裕はもう存在しなくなっていること。元々余裕が無いために失敗したという人もいますし、失敗したという事実に直面して余裕を失っている人もいます。そのどちらも、余裕を持っていないということでは共通しています。

その上でなぜ、失敗した当事者にさらに仕事を増やさせるのでしょうか? 余裕を失っている人にさらに負荷を背負わせて何をさせようと言うでしょうか? 失敗したことの責任を取らせるなどと、あるいは教育のためだなどと考える人がいるかもしれませんが、それは制裁にはなっても教育にはなりませんし、それ以前に、そんなもの失敗からの克服には何の役にも立ちません。

さらに、当事者を失敗の克服に関わらせると、当事者であるがゆえのバイアスがかかります。意識的にせよ無意識にせよ自らの行動を隠し、あるいは矮小化し、場合によっては拡大化させます。そもそも、自分のことを客観的に捉えることのできる人はいません。しかし、失敗の克服のために必要なのは、どのような失敗が起こったかという客観的な事実なのです。当事者が関わるということは客観的な事実からむしろ遠ざかることになるのです。

事件や事故が起こったときに第三者委員会が設置されたというニュースを聞いたことのある人は多いでしょうけど、この第三者委員会というシステムは当事者を関わらせないための仕組みです。

 

2.失敗の原因を突き止める

なぜ失敗したのかという原因を突き止めなければ同じ失敗を繰り返すこととなります。

ただし、前述の通り、原因追及のために当事者に関わらせることは認められません。あくまでも第三者が、起こった失敗は何であるかを見つけ、その失敗はどうして発生したのかを検出することが重要です。

ここで注意しなければならないのは、失敗の原因は本人の気の緩みなどという精神論で片付けてしまうことです。そんなものは失敗の原因でも何でもありません。気の緩みで起こる失敗などありません。仮にそのようなものが存在するとすれば、気の緩みで失敗が起きてしまうようなシステムのほうに問題があります。

失敗の原因に人間の意識など一切依存しません。ましてや、気をつけるなどと言うレベルで解決するものではありません。どのような心境であろうと起こってしまうところに原因の本質があります。

原因が見つかれば、その原因を無くせば失敗を繰り返すことが無くなることを意味します。失敗があることを前提としたシステムでは、いつでも客観的な原因究明ができる仕組みを整えています。飛行機におけるブラックボックスはそのいい例といえるでしょう。

 

3.失敗の原因が起こせない仕組みを作る

失敗の原因を突き止めたら、今度は原因を起こさせない仕組み作りです。

ここで重要なのは、強引に原因を消すことです。間違えても「気をつける」などと本人の意識に依存させたり、「複数人でチェックする」などと仕事を増やして原因を起こさせない仕組みとできたと思ったとすれば、信じられないレベルの脳天気さです。

失敗の原因を強引に起こさせない仕組みとは、人間が意識しなくても勝手に原因が消えている仕組みのことです。機械的に失敗できなくなっていたり、失敗の原因となる部品を必要としない仕組みを作り上げたりと、意識して失敗させようとしない限り失敗が起こらない仕組みを作り上げることです。

失敗の原因を起こせない仕組みの出来の指標は、失敗が起こる前より人間のこなす仕事量が減っているかどうかです。失敗したくてもできない仕組みを作り上げ、その上で、人間のこなす仕事量が減ってはじめて、失敗の原因を起こせない仕組みは完成したと評価に値します。

失敗の原因を起こさせない仕組みを作ったせいで人間のこなすべき仕事が増えることがあるかもしれませんが、そのときは、増えた以上の仕事を減らせるようになっている必要があります。一つ増えたら二つ減り、二つ増えたら四つ減りと、最低でも、増えた仕事より減った仕事のほうが二倍は存在しないと意味がありません。

 

失敗の克服に失敗するパターン

失敗の克服に失敗するパターンとは、上記の裏返しです。

失敗した当事者に、失敗の原因を追及させ、失敗の原因は本人の意識の問題にあるとし、失敗を防ぐために仕事を増やす。よく見られる光景ですが、そのような光景を展開している環境では、失敗の克服どころか失敗の再発を繰り返すだけです。

 

 

失敗の克服のまとめ

失敗したとき、二度と失敗しないよう克服するためには

○第三者

○精神論では無い原因を見つけ

○失敗の原因を起こせない仕組みを作り

○以前より仕事が減る

という手順が必要なのです。

 

戦略と戦術の失敗について考えてみた

戦略と戦術とはどう違うのでしょうか?

簡単にまとめると

・目標到達に至るまでの筋道の総称=戦略

・目標到達までの一つ一つの筋道=戦術

です。

 

戦略と戦術の全般的なまとめについては書いている途中なのですが、その中で、戦略と戦術の失敗についてわかりやすい例が現れましたのでここで記します。

既に話題になっています、茅ヶ崎市長選挙での桂秀光候補のこれです。

 

学校の前で街頭演説をしている桂秀光候補に対し学校関係者が苦情を述べたところ、選挙妨害だという反論を展開したことで話題になっています。

公職選挙法では以下のように定めています。

第百四十条の二 何人も、選挙運動のため、連呼行為をすることができない。ただし、演説会場及び街頭演説(演説を含む。)の場所においてする場合並びに午前八時から午後八時までの間に限り、次条の規定により選挙運動のために使用される自動車又は船舶の上においてする場合は、この限りでない。
2 前項ただし書の規定により選挙運動のための連呼行為をする者は、学校(学校教育法第一条に規定する学校及び就学前の子どもに関する教育、保育等の総合的な提供の推進に関する法律第二条第七項に規定する幼保連携型認定こども園をいう。以下同じ。)及び病院、診療所その他の療養施設の周辺においては、静穏を保持するように努めなければならない。

つまり、努力義務なので守らなくても公職選挙法違反にはならないのですが、戦略としても、戦術としても、桂秀光候補は絶望的な失敗をしているのです。

それは何か?

迷惑行為です。騒音を撒き散らし、通行を邪魔し、日常生活を破壊する迷惑行為はたしかに注目を集めますが、同時に反感を招きます。その反感は、自らの主義主張が正しいという訴えを届けることを簡単にかき消します。「迷惑だけど良いことを言っている」という感情ではなく「良いことかどうかなど関係なく、ただただ迷惑だ」という批判的な感情を招くだけです。

選挙において、こうした感情を招くことは、得票につながらないばかりか批判票を招き寄せます。仮に現職と桂秀光候補の二人しかおらず、かつ、現職に対する激しい反発を見せている世論があるなら。現職を落選させるという目的で桂秀光候補に投票することもありえますが、批判的な感情を招いてしまったら、「この人物に投票するなら、悪評高くても現職の方がマシだ」という感情を招き出すのです。

それでもこのように考える人がいるかもしれません。

迷惑だろうと何だろうと、注目を集めることは自らの訴えたいことの主張を広めるためには効果があるではないか、と。さらに言えば、「落選する可能性が高くても主張を伝える効果があるなら意味がある」「当落は関係ない。何より大切なのは主張を伝えることのほうだ」と。

しかも、この考えは人類史上で何度か成功しているのです。インドの独立運動南アフリカアパルトヘイト撤廃、あるいはアメリカの公民権運動もこの例に加えるべきでしょうか。

こうした運動は全て当初は迷惑行為でした。迷惑行為と考えられ、批判的な論評を呼び起こし、多くの反発も招きました。しかし、時間経過とともにその主張が訴えられ、インドは独立を果たし、アメリカは人種差別が禁止され、南アフリカアパルトヘイトが無くなりました。

 

ただ、これらの運動と桂秀光候補の今回の行動とは絶望的な違いがあります。

迷惑行為だという訴えに対する態度です。迷惑だと歌える多くの声があったとき、成功した運動は迷惑行為を止めています。重要なのは主義主張を訴えることであって、迷惑という訴えに対する反発は排除していません。それどころか、自らの迷惑行為を止めた上で、迷惑行為を止めるよう訴える人達に対して迷惑行為を謝すると同時に主義主張を訴えているのです。そして、自分たちが訴えようとしていることは特権を求めての行動ではなく、失われている権利を取り戻すための行動であると納得させたのです。自分たちの受けている植民地支配に正当性があるのかと考えさせ、当たり前と考えている区別はそもそも許されざる差別なのではないかと振り返らせる効果を持っていたのです。

桂秀光候補にそれはありません。それどころか自らの行為を迷惑だという訴えに耳を傾けてすらいません。ただただ自らの主張を喧伝するのみならず、迷惑という訴えに対しては謝意ではなく非難を加えています。

このような態度は、新しい支持を集めるどころか既に獲得している支持を失わせるだけです。

 

このような違いはどこから生まれるのでしょうか?

簡単です。他者をどう見ているかです。

迷惑だという訴えに耳を傾ける人は、自分のことを知的エリートだと考えていません。仮に考えていたとしても他者もまた自分と代わらぬ水準の知性の持ち主であると考えています。自分に主張することがあるように、自分に文句を言う人にも主張があることを納得しています。意見の違いはあるが意見を受け入れ合うことはできると考えているのです。

耳を傾けない人は、自分を知的エリートと信じて疑いません。自分は正しくて相手は間違っていると信じて疑いません。自分に対する反発は愚者が知的エリートである自分に見せる許されざる反発であり、撲滅して屈服させる以外の選択肢が許されないことだと考えているのです。桂秀光候補が今回の行動を全て計算でしていたのだとすれば、その計算は間違った計算だと言うしかありません。そもそもそのような考えを持っていなかったのだとすれば、ただ単に頭が悪いだけです。

 

今回の茅ヶ崎市長選挙で、話題の桂秀光候補は最下位で落選しました。

茅ヶ崎市に限ったことではありませんが、有権者は候補者が考えているような愚者ではないのです。それを忘れた戦略と戦術の選択は、必ず失敗します。

ビジネス書を作ってみた

f:id:tokunagi-reiki:20180819003414j:plain

f:id:tokunagi-reiki:20180819003421j:plain

f:id:tokunagi-reiki:20180819003417j:plainf:id:tokunagi-reiki:20180819003435j:plain

ありがちなビジネス書です。

しかし、この本はどこにも売っていません。

なぜでしょうか?

 

私がコミPo!でそれっぽく作った画像だからです。

もし、この本の画像が本物のビジネス書であるかのように広まったとしたら、まあ、面白いことになるだろうなぁ、と思うわけです。

コミック用のブログサイトを作ってみた。

既に御存知の方も多いと想うが、徳薙零己はコミPo!という漫画作成ソフトを使ってマンガを作って公開している。

歴史解説マンガであったり、

rtokunagi.amebaownd.com

 

P.F.ドラッカーを解説するマンガであったり、

rtokunagi.amebaownd.com

 

四コマ漫画であったりするのだが、

rtokunagi.amebaownd.com

新しいマンガを作ったら、ブログの作風に合わないことに気づいてしまった。

 

さて、どうしたものか。

 

その結果、一つの結論を出した。

 

新しい漫画の作風に合わせたブログをもう一個作る。

 

そこで始めました。

Reiki's Collection Cafe

rtokunagi-comic.hatenablog.jp

 

マンガを作って載せたら、備忘録にも公開情報を載せるようにします。

サッカーのスタイル作りについて考えてみた。

浦和レッズと言えばJリーグのクラブを真っ先に思い浮かべるが、実は女子サッカートップリーグであるなでしこリーグ1部にも浦和レッズがある。

正式名称は浦和レッドダイヤモンズレディース
浦和駒場スタジアムを本拠地とし、男子とほぼ同じユニフォームを身にまとって試合をしている。

ただ、男子と女子では決定的に違う点が一つある。
それはサッカースタイルが確立されているか否か。

男子の場合は監督が替わるとフォーメーションが変わり、試合の運び方も変わるが、女子の場合は監督が替わろうと全く同じフォーメーションで、全く同じ試合の進め方をする。

ゴールキーパーの前はディフェンスラインが4バックで並ぶ。
ディフェンスラインの前はミッドフィルダーが4人。センターハーフとしてやや後ろ気味に位置する2人と、オフェンシブハーフとしてややワイドに位置する2人がいる。
最前線のフォワードも2人。

図にするとこうなる。

f:id:tokunagi-reiki:20180324145600p:plain

守備時と攻撃時とで多少のポジションの変更があるものの、基本的に一つのポジションで複数の役割を求められることはなく、11人の中の1人としての役割に徹することで、11人として最高の結果を出すようにできている。そのため、選手一人一人の役割が明確化されると同時に無駄な体力の消耗を防いで90分に渡って全力を出し続けられるようになっている。

 

守備時

f:id:tokunagi-reiki:20180324145621p:plain

 

 

攻撃時

f:id:tokunagi-reiki:20180324145642p:plain

 

これは女子代表なでしこジャパンが採用しているシステムであり、Jリーグでいうと鹿島アントラーズが採用しているシステムに近い。

 

このシステムは、浦和レッズレディースがまだ「さいたまレイナス」と呼ばれていた頃に田口禎則監督が導入したもので、それまで優勝はおろか優勝争いとも無縁であったレイナスはこのシステムによって2004年に優勝、それも年間無敗での優勝という脅威の強さを見せつけた。

その後、監督が何度か替わったがサッカースタイルは変わることなく、優勝2回、2位2回、3位4回という安定的なサッカーをするようになっているが、注目すべきは低迷したとき。

2013年、2016年と低迷したシーズンはあったが、低迷して監督を変えることはあっても、サッカースタイルは変えなかったのである。

 

これを踏まえて、私はこう言いたい。

サッカースタイルの確立は難しいが、浦和レッズレディースはできているのである。

同じ浦和レッズなのに、男子はなぜできていないのか、と。