徳薙零己の備忘録

徳薙零己の思いついたことのうち、長めのコラムになりそうなことはここで

我慢と責任について考えてみた

今の住まいに引っ越す前、近所に頻繁に通っていた店があった。

およそ10年ぶりにその店に行ったら閉店していた。

不況のせいかと思っていたが、聞いたところそうではなかった。繁盛はしていたし、売上だって申し分なかったらしい。欠かせない店として近所では認識されていて、私が引っ越してからもリストラどころかむしろ人を募集するほどで、常に数十人の方々を雇っていたという。

その店が、突然に潰れた。

そして、その理由は店長にあった。

 

何があったのか?

店長が倒れた。

店長は以前から腰が痛いと言っていたようだが、腰痛などたいしたことないと考えて何事も無かったかのように出勤し店に立ち続けていた。それが失敗だった。

早い段階で病院に行けば治ったかもしれない。しかし、店長が病院に運ばれたときにはもう手遅れであった。どのような症状なのかは聞くことができなかったが、二度の全身麻酔手術を含む半年間の入院、そして、退院後も永遠に車椅子での生活というものは聞くことができた。

店長が入院していた半年、当初は残された人たちで、少ししてからは本社から別の店長が来て店の建て直しを図ったようであったが、その店は店長一人が支えているような店であった。その支えていた一人が居なくなった店がどのような運命を迎えたか? 結論だけを言うと閉店であるが、そこに至るまでは、混乱、混迷、生き残るための人員削減、残された者の絶望的というしかない奮闘(あるいは無駄な抵抗)が続いていた。

店の顧客も、店長がいなくなったことで以前のような店でなくなってしまっていたことを知り、店長が戻ってくるまでを見届けようとしていたようであるが、日に日に衰えていく店に耐えることはできなかった。

誰の目にも見える衰退を目の当たりにし、店は潰れた。

店で働いていた数十人がが迎えたのは、失業だった。それも、苦労に苦労を重ねた末に迎えた失業だった。

店の顧客が迎えたのは、店が無くなった生活だった。その店の便利さに慣れ親しんでいたところで迎えた突然の店の喪失だった。

この全てが、店長一人が倒れたことによって生じた出来事であった。

 

店長は無責任だったのか?

自分一人がいなくなったことで、多くの人の暮らしを不便にさせ、数十人を失業させた。この点だけを捉えれば店長は無責任だと言えてしまう。

しかし、店長は不真面目であったとは誰も言わない。常に店で働いていたことは近所の人であれば誰もが知っていることであったし、かつての従業員の誰もが自分たちに真剣に向かい合ってくれている頼れる上司と考えていた。誰よりも早く出勤し、誰よりも店に残っていた。ほとんど休むことなく働き続けていたと誰もが口を揃えた。

店長について責めるところがあるとすれば、腰痛を我慢して放置し続けていたことが挙げられる。それでも、店長が腰痛を放置せざるを得なくなっていた事情は誰もが理解している。何しろ店長無しで店が回らないのだ。店の誰もがそう思っていたし、他ならぬ店長自身もそのように自覚していた。

店長が腰痛を我慢していたことを見て、多くの人が真面目で責任感の強い人と感じたであろうし、店長自身もそのように思っていた。それが最低最悪の結果をもたらしたと知らずに。

 

店長は無責任だった!

自分一人がいなくなっただけで回らなくなる店を構築し、店の維持のために我慢を重ねなければならないという状況を作り上げたのは、無責任とするしかないのである。店長は数十人の雇用を守るべき立場であり、店が近所から欠かせない存在になっている。

自分が居なければ店が成り立たないというのは、自分が頼られているという実感を得ることならばできても、自分がいないと成り立たないという環境に安住し、自分がいなくても成り立つ環境を作り上げないのは無責任とするしかないのだ。

自分がいなくても成り立つような環境を作り上げるのは一朝一夕で出来ることではないが、腰痛を放置せずに病院に行って早期に治療することはすぐにできる話だ。それを我慢して放置していたことは無責任とするしかない。店長は言うであろう。たいしたことないと思っていたと。しかし、結果は既に判明している。自身は長期入院、店で働いていた人たちは失業、近所の人たちは店の無い不便な暮らし。このような結末になったと思わなかったとしても、自分がいなくなったら困る人がいるという現状を放置し、自身の腰痛を我慢することを美徳と考えるのは、責任ある姿ではなく、無責任な姿であると言わざるをえないのである。

 

責任のために必要なこと

責任と我慢が両立するという考えは捨てなければならない。責任のためには我慢を捨てなければならないし、我慢に堪え忍び続けたければ無責任であり続けるしかない。我慢している姿は美徳では無く無責任な姿であり、我慢を強要する社会は無責任を是とする社会にすることが必要である。

とは言え、日本国においてそれは簡単にできる話ではない。日本国というのは、本来なら相反する概念である我慢と責任とを密接につなげて考える社会であり、我慢を無責任ではなく美徳と扱う風潮がある。責任を遂行するためと考えて無責任でしかない我慢し続ける姿を褒め称えておきながら、我慢の末に取り返しの付かない結末を迎えても自己責任の一言で片付けるか、あるいは、自分ではない誰かの責任ということにして糾弾する社会である。

その一方で、本当に責任を遂行するために我慢しないで自己管理をしている人に対しては無責任といい、自己管理のおかげで何事も起こらないようにしている人に対し、何事も起こさなかったということで褒め称えることもしない社会でもある。よくて5段階評価の3、下手すれば2か1の評価をする。「がんばっていない」というのがその理由だ。

この社会環境が生みだしたのが店長、店員、そして近所の人たちに襲った悲劇の原因である。

変えなければならないのは個人の心のありようではなく、社会概念である。